2025年2月25日放送 0:35 - 1:20 NHK総合

ファミリーヒストリー
小島よしお 〜ひたむきに天職を追い求めて〜

出演者
今田耕司 大谷舞風 小島よしお 
(オープニング)
“一発屋”の声をはね返し 子どもたちに大人気

きょうのゲストは、小島よしお。一発屋と呼ばれた時期を乗り越え見事復活した小島よしおのファミリーヒストリー。

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オープニングトーク

オープニングトーク。ゲストの小島よしおが登場し、今田は、子どもたちに大人気だなどと話した。

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小島よしお
オープニング

オープニング映像が流れた。

ファミリーヒストリー 小島よしお
父方 ルーツは400年前 愛知 犬山の神社

最初に取材したのは、小島よしおの父・孝之さん。出身は北海道だが、ルーツは愛知県の犬山にあると聞かされてきた。孝之さんは、一度も犬山を訪ねたことがないという。そこで、愛知県犬山市から小島家のルーツを探す。小島家があった場所は、入鹿池の底に沈んでいた。かつてあった入鹿村で、小島家は神社の神職を代々務めていた。1630年頃、入鹿池を造るため、小島家は立ち退きを命じられた。3キロほど離れた土地に移り、再び神社を建立した。その後も代々神職を務める村の知識人として厚い信頼を得ていたという。明治に入ると、新政府が神職の世襲を廃止する方針を打ち出し、小島家は、神職を失い、貧しくなったとみられる。小島よしおの親戚が今も犬山市で暮らしていることがわかった。小島外余子さんは、小島よしおの5代前の先祖・傅でつながる。祭壇には、初代から連なる先祖が祀られていた。外余子さんは、北海道の方に親戚があるかもしれないとは聞いていたという。傅の代で神職を失い、傅の娘一家が新天地を求めて北海道に渡った。

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新天地 北海道へ 新たな生活と苦労

札幌市内に住む小島よしおの親戚・教彰さん。傅の孫にあたる丈太郎から、明治の中頃に船で北海道に渡ってきたと聞いたという。その当時、北海道庁は、全国に向け、移住者を呼び込むための冊子を配布。移住者が急激に増え始めたときだった。小島家は、現在の札幌駅にほど近い国道沿いの一角で暮らし始める。丈太郎は、小さな印刷所を始めた。役場関連の仕事を主に請け負っていた。明治37年、丈太郎は結婚し、7人の子どもが生まれる。その長男が小島よしおの祖父・文夫。父の苦労を見ながら育った文夫は、勉学に励んだ。

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転職を追い求めて 勤勉さとニコニコ笑顔

昭和3年、文夫は、小樽高等商業学校に合格。卒業後は、全国に70以上の支店を持つ不動貯金銀行に就職した。銀行では、ニコニコすることが事業の成功にもつながるという「ニコニコ主義」を掲げていた。昭和11年、26歳で結婚。1男1女が生まれる。小島よしおの伯父・康彰さんによると、文夫は、借金の保証人になり、莫大な借金を抱えることになったという。銀行に居づらくなった文夫は退職。借金返済のため、高価な繊維として注目されていたアンゴラウサギに目をつけるもうまくいかず、次にパチンコ店を手掛けた。昭和27年、信用保証会社の設立に力を貸してほしいと話を受ける。その会社の役割は、公共工事の発注に伴い、国や自治体が建設業者に支払う前払金を保証すること。その会社は、創業70年を超え、現在も札幌の中心部にあった。文夫は、設立に向け、資金集めや組織づくりに奔走した。会社に残っている写真では、文夫がにこやかな表情で映っていて、温厚な性格から人が集まり、仕事が順調に進んでいったとみられる。文夫の会社は、重要なインフラ工事を次々と支えた。会社設立5周年の記念冊子には、「意義のある仕事を天から授かった」などという文夫の言葉が残されている。小島よしおの父・孝之は、自分も社会に役立つ仕事に就きたいと学業に励んだ。昭和41年に早稲田大学に進学。学生運動が盛んな時代だった。孝之は、政治活動を手伝うようになり、政治家になりたいと考えるようになったが、父・文夫から反対されたという。孝之は、大学卒業後、政党の職員となり政治の世界へ。

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トーク

小島よしおは、祖父は借金を抱え、そこからいろいろなことにチャレンジし、それがうまくいった、同じ立場なら勇気がいるなどと話した。今田は、祖父の人生が小島よしおとかぶるところがある、一回ブレイクしてから、模索している姿を見ていたからなどと話した。小島よしおは、自分の芸風には、祖父のニコニコ主義が通じている気がするなどと話した。

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母方・高祖父 琉球王国の役人

小島よしおの母智恵さんは沖縄県久米島で育った。18年前母の介護のために島に戻り現在は料理店を営んでいる。智恵さんの実家にあるのはよしおの5代前からの古い家系図がある。初代は智恵さんにも読み方がわからないというが記された沖縄本島の与那城を訪ね、よしおと4代前の高祖父でつながる長松さんは初代の読み方を「新垣チクドゥン」と答えた。今回の取材でチクドゥンの息子「加那」について父が調べたというメモが発見、生まれは1839年で家を売って単身久米島で在番所で番人をしていたという。久米島の在番所を学芸員砂川さんが案内、正式には蔵元と呼ばれる琉球王国時代の役所の跡地で税金の一部として納めていたとされるヤコウガイを紹介した。

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母方・祖父 集落の陽気な人気者

久米島で加那の孫として生まれたのがよしおの祖父敏一だった。敏一は人を笑わせるのが大好きな集落の人気者で家の向いに住む長松さんは「冗談をよく言いいっときの話でも1時間くらい話す」と話した。昭和12年1月20歳で陸軍の招集を受け日中戦争の最前線で左腕に重傷を負った。復員後は少しずつ農業を再会し昭和17年に結婚、長女が生まれた。昭和19年に再び招集を受け臨月を迎えた妻に「子供達を頼む」と告げた。敏一は石垣島に送られたがマラリアの媒体となる蚊の生息地で兵士と住民に蔓延していった。暁之塔は野戦病院があった場所に建てられ、戦闘での負傷よりマラリアで運ばれた人が多かったという。敏一もマラリアを発症、数ヶ月の間に3000人を超える兵士と住民が亡くなったが幸運にも一命をとりとめ終戦を迎えた。久米島に戻り無事出産した長男ら家族と再会、その後は戦争について一切語らず以前のように明るく振る舞ったという。長女と三女は「話すのが好きだった」と語った。

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受け継がれた 明るさとたくましさ

昭和24年によしおの母智恵が誕生、智恵は幼い頃から働き者で畑仕事に忙しい両親に代わり毎日家族の食事を準備した。高校生になると家計を助けるために朝から魚の行商を始めた。智恵の同級生らは仕事を全く苦にしない様子について「朝こんな早くやるのはすごい、偉い。頭の回転、良さもすごく、人前でもおどおどしない」と話した。昭和43年に智恵は上京、東京で看護師としていた姉を頼りアルバイトをしながら暮らし、琉球舞踊を習い始める。同郷の人が集まり気持ちが休まる場所で、後にこれがきっかけでよしおの父孝之と出会うこととなる。

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トーク

小島よしおさんは「沖縄の方のおじいちゃんの若い時のことを知らなかったので。僕の前では寡黙なイメージだったけど明るい人、もしかしたら明るい感じを引き継いでいるんですかね」などと話した。

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出会いは琉球舞踊 北海道の父と沖縄の母

小島よしおの母・智恵は、琉球舞踊の腕前が上達するにつれて様々なイベントに招かれるようになった。ある集会で踊りを披露した智恵は、司会をしていた小島よしおの父・孝之から声をかけられる。やがて2人は交際を始め、昭和53年に結婚した。すぐに長男が生まれ、2年後に再び妊娠し久米島で次男・義雄を里帰り出産した。孝之が現職議員の死亡に伴い行われた補欠選挙に出馬することになった。結果は落選。この選挙を皮切りに、孝之は次々に国政選挙に挑むことになる。何度出馬しても結果は落選の繰り返しだった。孝之を支えたのは、政治家になることを反対していた文夫の「小島家の誇りだ」という言葉だった。智恵は、沖縄の食品を取り寄せてフリーマーケットなどで売って家計を支えた。義雄は中学では野球部のキャプテンを務め、高校では投手として甲子園を目指した。孝之は6度目の選挙に出馬し、これで最後と挑んだが落選した。

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よしおが選んだ道 驚きの大ブレーク

平成12年、小島よしおは父・孝之と同じ早稲田大学に入学した。お笑いサークルに熱中し、将来芸人になることを決意する。卒業を前に両親にその思いを打ち上げたが、母・智恵は大反対だった。せめて義雄にだけは堅実な道に進んでほしかったという。それでも義雄はアルバイトをしながら両親に内緒で芸能活動を始める。平成19年、26歳で大ブレイクを果たした。

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トーク

小島よしおは、お父さんの挑戦を改めて見るとすごいことやっていたんだなと思いますとコメント。また母について、小さいときからなんくるないさー精神は間近に見ていたので自分の血肉になっているなどと話した。

自ら天職を追い求めて 受け継がれる“小島家の誇り”

一気に大ブレイクを果たしたものの、一発屋と呼ばれテレビの出演が減った。しかし、両親から受け継いだ勤勉さと明るさで自分らしい道を模索し続ける。その後、子どもたちが楽しく勉強できるネット動画や子どもの悩み相談などを始め、新たなファンを獲得した。今や子どもたちに大人気の芸人として復活を遂げている。今、大勢の小島よしおのファンたちは、久米島の智恵さんの店を訪ねてくるようになった。その一人の新海さんは、中学時代に学校に馴染めず悩んでいて、自分の道を突き進むよしおの姿を見てモノマネをするほど夢中になった。そのおかげで友達が増え、勉強にも励むようになったという。

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トーク

小島よしおは、僕の後ろには色んなご先祖たちがいると思ってそんなの関係ねぇをやり続けていこうかなと思いましたねなどとコメントした。

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