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「久米島」 のテレビ露出情報

久米島で加那の孫として生まれたのがよしおの祖父敏一だった。敏一は人を笑わせるのが大好きな集落の人気者で家の向いに住む長松さんは「冗談をよく言いいっときの話でも1時間くらい話す」と話した。昭和12年1月20歳で陸軍の招集を受け日中戦争の最前線で左腕に重傷を負った。復員後は少しずつ農業を再会し昭和17年に結婚、長女が生まれた。昭和19年に再び招集を受け臨月を迎えた妻に「子供達を頼む」と告げた。敏一は石垣島に送られたがマラリアの媒体となる蚊の生息地で兵士と住民に蔓延していった。暁之塔は野戦病院があった場所に建てられ、戦闘での負傷よりマラリアで運ばれた人が多かったという。敏一もマラリアを発症、数ヶ月の間に3000人を超える兵士と住民が亡くなったが幸運にも一命をとりとめ終戦を迎えた。久米島に戻り無事出産した長男ら家族と再会、その後は戦争について一切語らず以前のように明るく振る舞ったという。長女と三女は「話すのが好きだった」と語った。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年6月21日放送 17:30 - 18:50 TBS
報道特集(オープニング)
キャスターの挨拶。きょうの特集は「森友文書開示、改ざんの裏で何が」、「久米島の虐殺、沖縄の史実を教訓」などのラインナップを紹介した。

2025年6月21日放送 5:40 - 5:50 NHK総合
NHK映像ファイル あの人に会いたい#512 元沖縄県知事 大田昌秀
元沖縄県知事の大田昌秀は沖縄に集中する米軍基地の縮小に取り組んだ。大田さんは1925年、久米島で生まれた。16歳の時に太平洋戦争が始まる。大田さんはは鉄血勤皇隊に編入される。大田さんの平和を願う情熱の原点は沖縄での凄惨な戦闘の記憶だ。戦争が終わると大田さんは琉球大学で研究者となり、戦争について考えた。
1990年、大田さんは沖縄県知事に立候補、当選する。1[…続きを読む]

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