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最高峰の賞に6度輝いた米を栽培する関智晴氏(39)を取材する。農薬に頼らず、同氏の田んぼには生き物があふれる。かつてはスノーボードのプロとして夢を追い、農家という出自を恥じていたという。異常気象に担い手不足のなかで、見据える小さな希望とは。
束の間のオフシーズン、関智晴氏は南魚沼市のゲレンデで家族とともにスノーボードを楽しみ、父の博之氏に今年の稲作に関するアイデアを披瀝した。作付する田んぼの面積は東京ドーム4つほどの広さにのぼる。関氏の肥料づくりでは複数の有機原料をブレンドし、1年発酵させることで稲の養分となるアミノ酸を増やしていく。苗には自家採種したコシヒカリを使っていて、苗箱には一般的な量の半分くらいしか敷かない。これにより、苗1本ずつが太くなり、異常気象にも耐えうる。そのためには苗箱を多く作る必要があり、作業量は自ずと増えるが、手間暇を惜しまない。夜10時、関氏は田んぼへ車を走らせ、朝の厳寒を軽減するべく、苗の周囲に10℃以上の水をためた。関氏曰く、稲に良いと思うことは何でもやるという。
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関氏が育てた米を炊くと、粒上だったデンプンが細胞内で均一に変化し、弾力と滑らかな粒感が同居する。そんな米を求め、県外から店へ客が足を運び、名店からのオファーも舞い込むが、地元での販売にこだわる。また、米作りではトライ・アンド・エラーを重ね、全国から多様な品種を取り寄せては賞味する。
5月末、南魚沼では田植えの終盤に差し掛かるが、関氏の田んぼでは準備すら始まっていなかった。日照時間が短い9月に登熟させ、きめ細やかな粒にしたいという。ただ、酷暑の時期に稲が稚いため、病気や害虫のリスクを併せ持つ。それでも関氏は攻め、田植えを終えたのは6月24日だった。
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関氏の田んぼでは豊富な生き物が生息し、食物連鎖が生まれる。それがよい土壌に繋がるという。
関氏は良質な米を作る農家を耳にすれば、全国各地へ趣き、指導を仰ぐ。小さい頃は田んぼが遊び場だったが、高校生の頃、農業は最もやりたくない仕事だったという。反発するようにスノーボードに熱中するも、子供を授かった後は生計を立てるため、オフシーズンに実家の農業を手伝うようになった。昼夜を分かたずに働いても、バイト代は1日9000円。加えて、父の博之氏は農薬を使わず、周囲の農家からすると笑い種だった。関氏は当初、理解できなかったというが、「他の人ではできない。やろうと思ってもできない」、「本当にいいもの作ってる」などと考えるようになった。27歳で競技を引退し、農業に専心した。良質な米がとれた田んぼでは多様な生き物が息づき、小さい頃に好きだった景色が思い出されたという。
2014年、関親子の米はコンクールで世界一に輝いた。労苦が報われたと、関氏は涙を流したという。今、関氏をリスペクトする地元農家は多く、農業にやりがいを見出している。
夏場は稲穂に養分を行き渡らせる重要な時期で、追加の肥料を与えていく。天候不順が激化し、高齢化問題も出来するなか、関氏らは繁茂する雑草を刈り取った。盆が過ぎ、稲は猛暑を乗り切ったかと思われたが、豪雨に見舞われた。テレビでは異常気象による品質低下、買い占めなど”令和の米騒動”が報じられていた。9月中旬、関氏は例年よりも早く刈り取ることを決意。アミノ酸がタンパク質に変化する前のタイミングで、収量は減る上、成熟次第では無駄になる可能性もある。収穫し乾燥させて1カ月、新米を店に並べた。客たちの反応は好評で、関氏は安堵していた。
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関智晴氏にとってプロフェッショナルとは、「そのことを誰よりも好きであって、好きっていう気持ち、情熱を維持し続けられる人」と語った。
「プロフェッショナル」の次回予告。
「歴史探偵」の番組宣伝。