- 出演者
- 所ジョージ 林修 南果歩 生瀬勝久
オープニング映像。
南はポツンと一軒家に憧れはあるが10日しかもたないと思うと話した。生瀬はそういう暮らしをしてみたいでは行けないところと話した。
熊本県のポツンと一軒家を調査。衛星写真には阿蘇山麓の森の中に三角屋根の建物が1棟写っていた。三叉路の道があり田畑は見えなかった。話を聞くために集落で話を聞くと、目指すポツンと一軒家が建っている場所は元々集落で集落出身者の別荘とのことだった。教えてくれた赤星さんに車で先導してもらいポツンと一軒家を目指した。
熊本県のポツンと一軒家をを訪れた。話を聞いた通り別荘だとわかり、今度は麓で暮らす主の賢さんを訪ね話を聞いた。別荘があった場所は元集落だったが便利が悪いためみんな山を下りた。別荘は賢さんの実家だった。2か月後、ポツンと一軒家を再訪し、賢さん夫婦に話を聞いた。別荘は平成12年に敷地の木を利用して建てた。一体は賢さんの私有地で、東京ドーム50個分ほどの広さ。今は人に手伝ってもらっているが昨年までは賢さんが道路まで管理していた。
熊本県のポツンと一軒家をを訪ね、主の賢さん夫婦に話を聞いた。実家では農耕のために牛や馬も飼育していた。家は農家で穀物や豆類を作っていたが、約70年前に廃業。阿蘇山の火山灰で畑が全滅したためで、集落もなくなった。賢さんは24年前に実家跡地に山小屋風の別荘を建設した。賢さんが自力で木を切り建材として使った。水は昔の井戸から引いている。2階は四畳半の畳の間になっている。子どもは5人で孫は7、8人。ひ孫もでき始めているという。別荘を建てた時に電気も引いていた。
熊本県のポツンと一軒家をを訪ね、主の賢さん夫婦に話を聞いた。賢さんは再婚で前妻を胃癌で亡くしていた。妻の敏子さんは賢さんが働いていた保険会社の元同僚だった。夫婦とも山登りが趣味で、賢さんは去年87歳まで登山をしていた。賢さんの別荘には登山者も宿泊に来るという。24年前に自主的に登山道を整備を続ける夫婦の功績を称え、熊本県山岳連盟が根子岳山頂に続く尾根の1つを釣井尾根と命名した。息子たちとは将来の山の管理を約束しているという。
沖縄の剛和さん一乃さん夫妻が暮らすログハウスを訪ねた。家はフィンランド製のログハウスキットで作られていた。剛和さんは家を建てるために3か月の休暇を取ったと話した。剛和さんはホテルのビーチスタッフから漁師に転職した。一乃さんは東京でOLをしていた。仕事を辞めて沖縄でアルバイトをしていたときに剛和さんと出会った。交際から4年後に結婚し、勤務先のホテルで挙式した。結婚4年後に新居を建築し、翌年に長男が誕生。3年後に剛和さんはホテルを辞めて漁師に転職した。一乃さんは現在もホテルで働いており、3年前に乳癌を発症してからはフロント業務をしていると話した。経過は良好で海にも行っている。バナナの木もあり、鳩が巣を作っていた。剛和さんは高級魚を狙う潜り漁師で、部屋には水中銃が飾ってあった。剛和さんの頼み、漁に同行させてもらうことになった。
剛和さんの漁に同行させてもらうことになった。剛和さんは珊瑚を壊さないよう潜って錨を落とし、素潜りで岩の隙間に隠れている魚を探した。沖に出て水深が深くなると空気ボンベを装着した。この日は3時間の漁で8匹の魚が獲れた。獲った中で一番高い魚はアカジンミーバイで、1kg3000円ほどだという。
「新・暴れん坊将軍」の番組宣伝。
漁の翌日、剛和さんは獲った魚を競りに出した。大田市場行きが決まった分は競りに出されなかった。アカジンミーバイは1kg3000円で落札されたが、ミーバイとイラブチャーは売れ残り持ち帰ることになった。販売手数利用料、箱利用料、氷代が引かれた分が収入になる。すると売れなかったミーバイは地元料理店が直接購入してくれた。
TVerの案内。
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剛和さんは売れ残ったイラブチャーを自宅に持ち帰り、イラブチャーのカルパッチョとアカジンミーバイのガラでダシをとった沖縄そばを作った。ホテルの休憩時間に帰ってきた一乃さんと一緒に捜索隊はお昼ご飯を振る舞ってもらった。今後についてい聞くと、一乃さんは定年になったら夫婦で日本一周をしり一緒に漁をしたいと話した。と話した。
南は良い時もあるし悪い時もあるという考え方が素敵だったと話した。