- 出演者
- 所ジョージ 林修 陣内貴美子 久保田磨希
オープニング映像。
- キーワード
- Google Earthグーグル
陣内貴美子は、田舎育ちなのでポツンと一軒家は身近に感じると話した。久保田は、毎週家族で見ていてディレクターとそれぞれの人達の会話に人生が詰まっていると思ったと話した。
新潟県のポツンと一軒家を調査。衛星写真には変形に切り拓かれた敷地に2棟の建物や耕作地が写っていた。最寄りの集落で住民に話を聞いた。目指す家がある場所は元集落で、40年前に集団移転したため今は誰も住んでいないとのことだった。ただ衛星写真に写っている畑は手が入っている形跡があり、人が住んでいるかもしれないという。近所にいる詳しい人を教えてもらい、そこで話を聞くと親戚が小屋を建てて年に1回カラオケなどをしていた話は聞いているとのことだった。向かう途中に車ですれ違った渡邉さんという男性に声をかけ、家まで先導してもらった。到着すると「手づくり村 相川」という看板が立っていた。衛星写真と同じ特徴の建物が確認できた。渡邉さんによると、時々催し物をしているという。
到着したポツンと一軒家は山ノ相川という集落だった場所だった。案内してくれた渡邉さんは所有者に知り合いはいないとのことで、下にある小高集落で所有者を捜索した。小高集落で米農家の男性に話を聞いたが、山ノ相川から小高集落に移転した人はいないとのことだった。西川口にある山の相川団地には山ノ相川に住んでいた人たちがいると教えてもらった。山の相川団地で山ノ相川の元住民の樋口さんという男性に話を聞くと、現在は堀之内地区の住民が管理しているとのことだった。山ノ相川は元々30軒以上の集落で、堀之内地区に10軒が移転したという。同じく山ノ相川元住民の黒島さんという男性に、現在管理している男性に電話で連絡をしてもらい、会う約束を取り付けた。樋口さん黒島さんとともに「手づくり村 相川」に戻ることになった。
すべての恋が終わるとしてもの番組宣伝。
山ノ相川の住民だった樋口さん黒島さんとともに「手づくり村 相川」を訪れた。電話で約束していた管理者の渡部さんと村長の和田さんに話を聞いた。渡部さんが住んでいた自宅の跡を使って山遊びをする発起人となり、人が集まったという。和田さんは新潟出身だが元集落とは無縁で、工務店を経営する渡部さんが和田さんの家を建てたことで知り合った。元住民を含む約20人で手づくり村を開き、徐々に伝わって多いときは70人ほど集まった。参加者が高齢化したため現在は約10人ほど。古材を使って大工の渡部さんが様々な施設を作った。和田さんは8年前に胆管癌を発症した。病院から出たときも杖をつきながら手づくり村に来て、そこからみるみる回復したという。電気は集落がなくなったときに来なくなり、水はポンプ小屋が1個だけ残っているが水量は多くない。集落だった頃の資料などを収蔵した歴史資料館も建っていた。最大42世帯が生活していた集落だったが、冬は豪雪で孤立した。年々住人が減り、昭和48年に廃村になった。
TVerの案内。
- キーワード
- TVer
「手づくり村 相川」を訪れ、元住人の渡部さんに話を聞いた。渡部さんが最初に建てた2階建ての山小屋は譲ってもらった木製電柱が使われており、畳も貰い物だった。黒板には村での活動内容が書かれていた。1か月後に手づくり村を再訪すると、秋の恒例行事である芋煮会が開かれていた。畑で育てた里芋と大根で芋煮を作っていた。和田さんは体調不良で欠席だった。スタッフも芋煮を振る舞ってもらった。渡部さんは、あと何年か皆さんで楽しくできればと話した。
林は、何かがあるわけじゃなくても「あそこに行ったら楽しいことが起きる」という場所があるのは幸せと話した。久保田は、もう少し若い世代が集まれば盛んになるかもしれないと話した。
