- 出演者
- 林修 椿鬼奴 高嶋修一 渋谷凪咲
オープニング映像。
スタジオは渋谷の街を再現。モヤイ像はガングロコギャルでド派手だった。ゲストは椿鬼奴&渋谷凪咲。椿は幼稚園から二十歳まで渋谷区在住だった。2人が渋谷で撮影した写真を紹介した。
青山学院大学・高嶋修一教授によると、渋谷が若者の街になった理由は「街が凹凸していたから」。土地の凸凹を立体的に見る地図で東京の街を紹介。標高が高いエリアは山手、低いエリアは下町と呼ばれる。山手線は山手を通っているのが名前の由来。縄文時代は銀座など東京の東側は海で、渋谷のあたりは高台だった。それ以降1,000年以上かけて海面が下がり現在と同じ高さになった。渋谷駅と銀座駅周辺を地図で比較。ほぼ平らな銀座は道がまっすぐ作られたが、渋谷は凸凹に沿って曲がりくねった道となった。渋谷は大きな整備がないまま発展。地権者が増え、戦後の開発も難航した。銀座は江戸時代に整備された区画を維持しながら発展した。1956年で比較すると、使いづらい渋谷の土地の価格は銀座の3分の1程度で新宿よりも安かった。家賃も安かったことからコアでとがった店が集まることになった。
ハチがクイズを出題。Q.1990年代以降に渋谷で激増したお店とは?。正解はレコード店。ビートルズが来日した1960年代に日本の若者たちの間でロック音楽ブームが起きた。渋谷は小さなビルが多く、家賃が安かったことからレコード店ができて若者が集まってきた。
1930年代の渋谷駅には山手線・東横線・田園都市線が通っていた。渋谷をターミナルとして開発していた東急の前身会社は、お客さんを渋谷から銀座に運ぼうと考え、銀座線を開通させた。当時の東横線沿線は比較的豊かな人たちが住んでいたので、渋谷を通り道として銀座へ行ってもらえば、鉄道会社として儲かるとの思惑があったという。戦後の復興で渋谷を開発する際に登場したコンセプトが「大人が家族と楽しめる街」。東急文化会館には大型映画館やプラネタリウムができ、東急会館では歌舞伎や落語が上演された。
東横百貨店の屋上の写真を紹介してクイズを出題。Q.大人も子どもも楽しめる催しとは?。正解はスキーの講習会。1964(昭和39)年に東急百貨店本店がオープン。家具から美術品まで揃う大人の百貨店だった。
1973年に渋谷PARCOがオープン。西武グループは東急が開発していた駅周辺を避け、当時は人通りが少ない場所を選んだ。幅広い客層を狙う百貨店の常識を覆し、流行に敏感な若者をターゲットにした。林先生は紫のスーツを購入したが、夜の商売の人たちが同じ格好をしていて二度と着なくなったと明かした。PARCOの成功を受けて東急はSHIBUYA109をオープン。当初はメンズも扱っていたが、90年代以降に若い女性向けの店を揃える方針にしたことでギャル文化の発信地となった。PARCOと109の間にある渋谷センター街は若者たちが集まる場所となった。古着スタイル・デニム・エンジニアブーツの若者たちは「チーマー」と呼ばれた。2000年代になるとスクランブル交差点が注目されるようになった。
ハチがクイズを出題。Q.スクランブル交差点が目的地になるきっかけとなった出来事とは?。正解は2002年日韓ワールドカップ。2009年頃からはハロウィーン、2010年代から大晦日カウントダウンで若者が集まるようになった。
渋谷凪咲&椿鬼奴が今回学んだ渋谷について語った。
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- 渋谷(東京)
「マップタイムトラベル」の次回予告。
調べてほしい街を質問された渋谷凪咲は「大阪」と答えた。
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- 大阪府
エンディング映像。
