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きょうの世界遺産はドナウ川の6つの世界遺産をめぐる。
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- ドナウ川
ドナウ川の全長は2850km。ヨーロッパの10カ国を流れ黒海へ注ぐ。ルーマニアにある小さな港町にある河口から旅を始める。ルーマニア側には山地が広がっていて、そこからドナウへ何本も支流が注いでいる。その先にあるのが「トランシルヴァニアの要塞教会群」。200以上の要塞化した教会が点在する。当時最強の軍を持っていたオスマン帝国を迎え撃った。14世紀に台頭したオスマン帝国はイスタンブールに都を置き、東へ西へと領土を拡大。最盛期には広大な領土を誇った。彼らがヨーロッパへ進軍したのはドナウ流域の肥沃な穀倉地を手に入れるためだった。当時、トランシルヴァニアはハンガリー王国の辺境にあり、オスマン帝国はそこへ兵を送り込んだ。早い時期にオスマン軍の攻撃を受けたプレジュメル要塞教会には272の部屋があり1600人以上を収容できたという。外壁には穴があり、表と裏にくぼみのついた木の回転台は両側に鉄製のパイプを並べて弾を込めて火縄銃のように撃った。教会のパイプオルガンと似ていたので「死のオルガン」と名付けられた。しかし、トランシルヴァニアは16世紀からおよそ150年にわたりオスマン帝国の支配下に置かれることになった。当時、ルーマニアでオスマン軍と戦った君主の1人がヴラド・ツェペシュ公。敵を残忍に殺したことから、後に吸血鬼ドラキュラのモデルとなったこの人も敗退した。
ハンガリーの首都ブダペストはドナウを挟んで広がる歴史地区。かつてアジアの草原を移動しながら暮らしていたハンガリー人の祖先は9世紀の終わり頃、この地に定住した。ホルトバージ国立公園にいるラツカ羊はハンガリー伝統の家畜の一つ。ハンガリーに移住した祖先たちは巧みに馬を乗りこなした。彼は馬を鞭で叩かず、しなった鞭が空を切る音で馬を自在に操っている。ハンガリーを建国したのは騎馬民族の首領だった。
ウィーン歴史地区は後にドナウ帝国とも呼ばれた大帝国の首都だった。シュテファン大聖堂の屋根にはハプスブルク家の紋章が。彼らは13世紀からオーストリアを支配、政略結婚により領土を広げていった。20世紀初頭まで続いたハプスブルク帝国だ。後にドナウ帝国とも呼ばれた。ウィーンには帝国中の貴族が邸宅を構え、華やかな宮廷文化が開花した。オスマン軍はウィーンにも攻めてきたが逆に撃破された。その時置き去ったコーヒー豆がウィーンにコーヒーを飲む習慣を根付かせた。
世界遺産「ローマ帝国の辺境地帯-ドナウ川のリーメス(西側部分)」。ローマ帝国はドナウ川を北の境界線と定め、このエリアだけでも城壁の跡などが77ヶ所も残っている。城壁の周囲からは様々な物が見つかっている。ドナウの流域へ最初にワインづくりを伝えたのはローマ人だった。
オーストリアのヴァッハウ渓谷はドナウで最も美しい渓谷と言われる。ブドウ栽培にはもってこいのこの地、ローマ人が伝えたワインづくりが中世大きく花開いた。川沿いの古城を築いたのは中世の頃からこの地を治めていた領主たち。領主たちは行き交う船から税を取り立て富を蓄えるようになった。
18世紀、ドナウエッシンゲンの領主が庭の湧き水を大理石で囲み「ここが水源だ」と宣言。以来、ここがドナウの水源となった。
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- ドアドナウエッシンゲン(ドイツ)
「世界遺産」の次回予告。
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