- 出演者
- 薬丸裕英 峰竜太 山田五郎 井ノ原快彦 中原みなみ 荒俣宏 高瀬くるみ(BEYOOOOONDS)
オープニング映像。
世界初の鉄道がイギリスで走ったのは1825年。今年はそれから200年のメモリアルイヤー。関東の大手私鉄9社のなかで路線総延長1位463.3km、総駅数も205駅とNo.1の東武鉄道。8月の東武線シリーズ第2弾は「世界遺産がある避暑地」。
20位は「スペーシアX」。昭和4年に東武日光線が開通。外国人観光客に向け東武鉄道初の豪華車両を導入。走る貴賓室と呼ばれた。
19位「日光東照宮は神社です」。東武日光駅の眼の前が日光街道。江戸時代は江戸から日光まで三泊四日かかった。
18位「眺めの良い宿」。2022年にオープンした「シャルターガーデン日光」は客室からの眺望が評判。2023年にオープンした「TAOYA日光霧降」の名物はインフィニティ温泉。
古河電気工業日光事業所の近くにある「れんがya」を紹介。約70年前に創業。メニューは焼きそばのみ。創業時から使用する製麺機で作る自家製麺がこだわりで材料は水、塩、小麦粉のみ。具材はイカとキャベツのみ。栃木県産のソースをブレンド。やきそばはスープ付で大盛り720円。常連客は追いソースをする。店主・岸は「とにかくいい麺を作っていればどんな調味料や食べ方をされてもいい」などと述べた。
東武日光駅前のバスロータリーにレトロな車両が置かれている。かつて日光軌道線という路面電車が走っていた。明治時代、足尾銅山で採掘され古河電工で精製された銅や旅客を運んでいた。いろは坂の整備などモータリゼーションの影響で役目を終えた。東武バスの日光軌道タイプ特別車両は行き先表示も幕式方向幕を取り入れている。
東武線シリーズ第2弾は日光。荒俣宏は「東武日光線は開通時から観光列車」、とちぎ未来大使・高瀬くるみは「遠足や校外学習で日光に行った」、山田五郎は「関東屈指のパワースポット。大人の楽しみがいっぱいある」などとコメントした。
奈良時代に栃木県に生まれた僧侶、勝道が地元のスター。勝道上人に四本龍寺を日光に創建。15年をかけ男体山に登頂し日光山を開いた。勝道上人なくして日光は語れない。高瀬は「徳川家康と同じくらい有名だと思っていた」、荒俣は「地名がすごい」などとコメントした。
明治時代、日光は特に外国人に人気の避暑地だった。第14位「明治の館」。元は日本の蓄音機の父と呼ばれたF.W.ホーンの別荘だった建物は、現在西洋料理店として使われている。カニクリームコロッケなど、ラグジュアリーな洋食が味わえる。人気はオムレツライス、チーズケーキ「ニルバーナ」。
かつては冬に湖や池が凍るほど寒かった日光では、古くからスケートが楽しまれてきた。栃木県立日光霧降アイスアリーナは通年営業のスケートリンクで、夏でもスケートが楽しめる。第13位「スケートの街」。プロアイスホッケークラブ「H.C.栃木日光アイスバックス」は前身が古河電工アイスホッケー部で、100年の歴史を誇る。全日本選手権2連覇中のチームには、地元日光出身の選手がいる。
日光に続く街道には、総距離35.4kmの世界最長の並木道がある。第12位「日光杉並木街道」。徳川家の重臣・松平正綱が家康の33回忌にあたる1648年に寄進した。日本近代医学の父・エルヴィン・フォン・ベルツ博士はこの杉並木を気に入り、腰を掛けるための石を石材屋に作らせたという。
自宅の庭に山椒の木が生えているのも、日光ではよくある風景。標高が高い日光では、おいしい山椒ができるという。第11位「さんしょ」。春にとれた山椒の若芽を冷凍保存し、佃煮にして一年中食べているという。
第10位「小杉放菴記念日光美術館」。明治から昭和にかけて活躍した日光出身の洋画家・小杉放菴の作品を収蔵している。日本画や東洋画の技法を取り入れるなど、ジャンルを超えた多彩な作品を残した。若い頃の作品が水彩による日光の風景画で、主に外国人観光客の土産用に描いたものだという。
東武線シリーズ第3段は「新越谷」。
9位・氷屋徳次郎。全国に数軒しかない蔵元のひとつ。「天然氷の蔵元の氷池」は創業120年の氷の蔵元が天然氷を作るための池だが、凍らせている最中に雨が降ると氷を割って一から作り直しとなる。また雪が降れば止むまで雪かき。こうして気泡や不純物が入ることなく固く長持ちする氷に仕上がる。
8位・霧降高原キスゲ平園地。標高1600m、6月下旬から7月下旬ごろは「ニッコウキスゲ」で見渡す限り黄色となる。シカが増加したことによりその数が減少、そのため年に2回地元ボランティアによる補植活動を実施している。
7位・羊羹。明治元年の「ひしや」では煉羊羹1種類のみ販売。昔ながらの竹皮に包まれ、美術品のように美しい煉羊羹。全工程が手作業のため作れるのは1日1釜分のみ。水羊羹といえば夏のイメージだがかつては家庭で作られていた。冷蔵設備がない時代、日持ちしない水羊羹は冬の食べ物だった。今でもこたつに水羊羹が日光の冬の風物詩となっている。
6位・湯波。京都に並び湯波の産地となっていて、日光街道には湯波をつくる店が2軒。「日光湯波 ふじや」は明治元年創業。日光の湯波は厚みがあるのが特徴で、また表面が波打っていることから日光では「波」という漢字が充てられた。
5位・神橋。別名「山菅の蛇橋」といい、勝道上人が荒れ狂う川に差し掛かったとき深沙大王が現れ2匹のヘビを放ちそれを橋にして渡らせた、という伝説が由来。