- 出演者
- 矢作兼(おぎやはぎ) 狩野恵里 ビビる大木 渡辺満里奈 今田耕司 本田望結
家、ついて行ってイイですか?の番組宣伝。
「渋谷駅」で家について行っていい人を探す。ハロウィン前日に訪れるとコスプレしている人がおり中には群馬からやってきたという女性らがいた。そんな中今年80歳になるという男性がおり話を聞くと一応桃太郎の研究会の会長をやっていると話した。この日の同行は出来ないと言われたが後日なら大丈夫ということでスタッフが八王子に向かった。
後日、松川忠嗣さんの自宅を訪問。玄関にも桃太郎グッズがあり、家は3LDKの一軒家で奥様と息子さんが住んでいた。松川さんは日本桃太郎の会の会長を勤めている。息子さん英語と投資のアドバイザーなどをしているという。忠嗣さんが着ていたTシャツは朝の挨拶運動を子供達とやっていてイラストを描いてくれたと話した。挨拶運動は10年間、高幡不動駅で1時間くらいやっているという。そんな忠嗣さんは現役の税理士でもあるという。
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松川忠嗣さんに密着。忠嗣さんは税理士でその前は税務署に勤めていた。奥様のみちよさんは時間を畑に使うため料理は息子のあつしさんが務めるという。畑いじりがストレス解消だという。忠嗣さんの家には桃太郎に関するグッズや資料などが大量に保管されており、中には大正時代のものも存在していた。一般的に知られる桃太郎は流れてきた桃から子供が出てきたという物語だが、元の話は流れてきた桃をおばあさんが先に食べると若返りお爺さんも食べて若返りその2人が子どもをうんで生まれたという話とされている。話が変わったのは明治初期だと思うと忠嗣さんは話した。
忠嗣さんが桃太郎好きになったきっかけについて90年間桃太郎を研究している小久保桃江先生の勉強会に入ったという。小久保会長は明治から昭和を戦争と共に過ごし、子供達が可哀想な目に遭っているのを見ながらどうやったら子供達が幸せに過ごせるか考えた時に見つけたのが健康、富などの5つの幸せの原点でその幸せの省庁が桃太郎でその考えを世界に発信したいと思ったからだという。それまでは別に桃太郎好きではなく出会ってから現在まで元気に楽しく明るく出来ているなど話した。澁谷ハロウィンで桃太郎さんの家について行ったら真面目だった人生が桃太郎好きになり色んな楽しみを手に入れた79歳がいた。
三重県鳥羽市の菅島で開催されている「しろんご祭」で一升瓶をあげるかわりに家について行っていい人を探す。声をかけたのは松村さん達家族。家を見せてくれる事になった。松村さん一家は松村さん夫婦と母の3人暮らしで、娘のなみさんも孫と帰省していた。なみさんの母親は海女さんで、サザエやアワビが食卓に並んでいた。孫もおもちゃより、海苔が好きだった。しかし、大人たちはあんかけ焼きそばを全員口にしていた。しろんご祭で松村さんの家について行ったら海の幸が美味しくてもあんかけ焼きそばが好きになる事が分かった。
谷中骨董市で家について行っていい人を探す。声をかけたのは宝塚大好きな女性で同行を許可を得て買い物よりタクシー代を支払うことになった。同行を許可してくれたのは鯉沼あきこさんで60歳だという。赤羽にずっと暮らしていて結婚はしていないという。骨董市で購入したのはお姫様の人形だった。
鯉沼さんは1DKの賃貸に1人暮らし。部屋には「ベルサイユのばら」のポスターやマリー・アントワネットの母親の幼少期などの肖像画が飾られていた。さらに骨董市で見つけたものを飾っているなど紹介。鯉沼さんは20代後半から40代前半まで踊っていたという。アマチュア劇団で踊っていた頃のビデオを見せてくれた。デパートでも勤めていたこともあり劇団活動していたら結婚なんてどうでも良くなってしまったや母親が亡くなる前に結婚しないだろうから和尚さんに戒名をつけてもらえと言われたという。冷蔵庫には調味料などがあり中には彼に勧められたものがあった。その彼はは5カ月前に亡くなったという。享年は83歳で23歳差で籍は入れず15年前、鯉沼さんが45歳の時から付き合っていたという。
出会いは父が亡くなり、母が入院し働かないと思いカラオケスナックにタウンワークで応募し面接をしてみるかと言ったのがその彼でオーナーと従業員という形で出会ったという。独り身で夜勤もやってくれる?という話になりその後ある日突然キスをされたという。彼からは結婚をどうすると聞かれたが年齢的にまぁなと思い、好きなら結婚はどうでも良いなど思ったという。旅行などは行かなかったが料理を作ってくれたりしアルバムに残していた。彼は2年前に肺がんが発覚し3度の抗癌剤治療を2年の間に受けが徐々にという感じだったという。鯉沼さんは悲しかったけど最期一緒にいれて良かったと話した。谷中骨董市で鯉沼さんの家について行ったら45歳で恋愛を知った女性の次の恋を応援したくなった。
「浅草酉の市」で家について行っていい人を探す。声をかけたのは沖縄と熱海に住んでいるという女性で許可を得た。自宅は熱海でスタッフが向かった。やってきたのは高谷さんの自宅で1億5000万円から2億円の自宅で部屋は10部屋存在するという。旦那さまは現在は仕事をしていないが前までは人材派遣会社をやっていたという。2人暮らしであるがテーブルは長く友達などを誘うという。リビングには夫がカクテルを作るためのバーが設置されていたりそこには7~8万円のお酒などがあった。すえ子さんは熱海芸者を36年間やっていて、飾られている写真には渡哲也さんがおり、芸者として石原軍団を接客していたという。旦那様の宏さんともお客さんで出会ったという。
自宅にはエレベーターもあり、自宅は屋上付きの3階建てでお風呂は天然温泉でサウナ室もある。3階は宴会場となっており、ステージもあり芸者さんを呼ぶという。宏さんとの結婚は8年前で、その前に20歳の時に独り身になったが結婚し一人息子もいる。17歳の時に出産したが両親からは怒られ自分で育てなさいと言われたという。さらに当時の相手は家に一銭もお金を入れなかったため沖縄のクラブでママさんにお世話になりずっと働いていた。そんな環境を変えるため先輩を頼って熱海に出てきたという。屋上ではハンモックで寝ることが出来たり花火を独り占めできるなど話した。
続いて宏さんが和室を見せてくれ趣味で日本刀を飾っていると見せてくれた。そんな宏さんは長崎出身で商売も長崎で始め、当時ビデオショップが出始めた頃でそれを長崎で最初にやって300~400万円くらい稼いでいたが親友から保証被りにあい、その頃結婚もしていたが一家離散し自宅なども売り払い何もかも嫌になり人間不信になっていた。しかしこれじゃいけないということで東京に出てきて人材派遣会社を始めた。当時はまだあまりなかったため成功し年収は3000万円あるかないかという状態で58~60歳くらいの時に会社を手放した。2人は宏さんがお客さんとしてやってきたのが出会いですえ子さんが気遣い出来る部分に惹かれたという。浅草酉の市で高谷さんお家について行ったら若かりし日の苦難を乗り越え120歳まで生きたい元芸者さんだった。
浦和駅で家について行っていい人を探す。声をかけたのは単独で飲んでいたという男性で飲み代を支払う代わりに交渉成功した。大内克巳さんは酒店の配達をしていて息子が2人いると話す。息子さんに電話をかけ克巳さんについて飲んだくれであるなど話した。自宅にはキウイの木がありカミさんの母親が育てていたという。
大内さんの自宅にお邪魔する。家は奥さんと2人で考えた自宅で玄関はすぐ使うものを置くスペースや息子たちが幼稚園とかの時に作ったものを飾っているという。家は4LDKの一軒家で自宅には次男の尚弥さんがいた。克巳さんは帰宅後5分でもう1杯飲み始める。そしてさきほど取ったレインボーレッドを切ってくれスタッフが食べた。テレビ台の下には結婚式の様子が撮影されたビデオがあり見せてくれた。奥様は5歳年上で出会いはバイト先でお姉ちゃん風な年上の場面も見せるけど単純に可愛いものとかあると子供っぽい態度がありギャップに撃沈したという。そんな奥様は2016寝んに卵巣がんで亡くなったという。死ぬ間際の写真は無く、死んだ時の顔と変わっていないということで30代の写真を遺影にしている。和室に置いているのはリビングからも見え、見張ってくれている感じがするからと話した。寝室には溜められたままの妻の服や奥様が最後に使っていたスマホなどがあった。スマホはしばらくアラームで使っていてカミさんが起してくれる気がしていたという。リビングには奥様が亡くなった月のカレンダーが残されていて処分できなかったという。
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大内さん達の自宅に密着。奥様の余命について当時伝えて3人揃って泣いたという。そして子供達には今からでも出来ることをやれと言ったという。尚弥さんは部活の友人と見舞いに行ったりしたという。奥様は誕生日を超えて一週間後に亡くなったという。克巳さんは子供達についてやっぱり大事なのこしてくれた宝物だから大事に育てたいきたいなど話した。浦和駅で大内さんの家について行ったら亡き妻が残した宝物を大切に守る男性の家族の話が聞けた。
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蒲田駅で家についていい人を探す。出会ったのは3人組の男性で同じバス会社仲間だという。その中で超ベテランという男性が石川町に住んでいて奥様は寝ているようで電話に出なかったが交渉成立した。同行させてくれたのは倉持進さんで2回結婚していて最初の奥様は遊び回っていたら逃げられてしまったという。2人目の奥様は上海大学に語学留学をしていて生徒と先生の関係から結婚したという。自宅に到着し5分後、家の中から怒鳴り声が聞こえてくる。
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蒲田駅で出会った倉持さんの家へとついて行った。自宅に到着し5分後、家の中から怒鳴り声が聞こえてくる。15分後倉持さんがやってきてあと2分待ってくれると再度説得へ向かったが妻は激怒して無理だった。そんな倉持さんに夢を聞くともう少し仲良くしてもらいたいと話した。蒲田駅で倉持さんの家について行ったらしょっちゅうケンカしてもスキンシップで仲直りできることを教わった。
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