- 出演者
- 矢作兼(おぎやはぎ) 繁田美貴 狩野恵里 ビビる大木 南果歩 古田新太
下北沢駅前で出会ったのは地元在住の女性2人組。「家、ついて行ってイイですか?」とお願いしたが、「急過ぎて」と断られてしまった。続いて出会ったのは振付師の香瑠鼓(かおるこ)さん(67歳)。Wink「淋しい熱帯魚」などのヒット作品を手がけたという。「家、ついて行ってイイですか?」とお願いするとOKしてくれた。振付師になった経緯を伺いながら歩いて自宅へ向かった。自ら振り付けして歌って踊るバンドのボーカルとして活動していたら、石井明美「CHA-CHA-CHA」を振り付けすることになり、初めてでいきなり大ヒット。家が近いためコンビニ代をお支払い。お風呂に入れるためのお酒など2,727円をお買い上げ。1LDKの持ち家(築52年のマンション)に一人暮らし。振り付けのために壁一面が鏡。親しいラッキィ池田の実家がガラス屋で、彼の弟がやってくれたという。床は防音材が入っており、ダンスの衝撃を和らげる作りになっていた。棚にはジャネット・ジャクソン、ヴァネッサ・パラディ、ケイト・ブッシュ、プリンスなどのビデオが並んでいた。「淋しい熱帯魚」以外にも「タケモトピアノ」CM、「慎吾ママのおはロック」、「おどるポンポコリン」などを振り付けたという香瑠鼓さんに印象に残っているタレントを質問すると、元SMAPの草なぎさんと答えた。チョナン・カン名義でリリースした曲の振り付けを担当。やる気になったら3時間ぶっ通しで一切水を飲まず、トイレにも行かずに練習したという。壁にはクラシックバレエで脚を乗せたりする手すりがあった。香瑠鼓さんはクラシックバレエ、ジャズダンスなどあらゆるダンスを経験。ほぼ全ジャンルのダンスが踊れる。芸歴書には1,300本と書いているが、1万本は振り付けしているという。仕事が楽しくて婚期は逃してしまったが、モテた。ラッキィ池田は元カレだった。奥は衣装部屋。タンスの上には好きだという幾何学模様のセットの一部が置いてあった。床の空いている部分に布団を敷いて寝るという。障がいがある方を体を動かすワークショップを30年以上続けている。1998年の長野パラリンピックで閉会式の振り付けを担当した。妹は生まれつき両足の股関節の骨が細くて脆く、世田谷区のボランティア団体で活躍。障がいがある方たちを公演に連れて来て、その中の1人が弟子入りを志願し、障がいがある方のクラスを始めた。指一本でも表現になる。立てなかった子が立てるようになるなど、いろんな人が花開いていくのが面白いと語った。下北沢駅で香瑠鼓さんの家について行ったら、ダンスを通じて幸せを広げるパワフルな生き様に力をもらいました。
獨協大学前駅の西口で出会ったのはカラフルでド派手な親子。原宿系のデコラファッションだという。車で来ていたためコンビニ代をお支払いして家までついて行った。堅あげポテトなど1,588円をお買い上げ。パパ・うるるさんの職業は外構工事。娘・いちかちゃんは12歳。自宅は築30年の4LDKで家賃は88,000円。うるるさんには子どもが5人いる。長男あもうくん(11歳)、次男うーくん(5歳)、次女れんかちゃん(8歳)、三女ゆめちゃん(6歳)。ゆめちゃんは竹下☆ぱらだいす・しんぢをリスペクトしていて髪の毛が同じ黄色だった。校長先生にお願いして許可してもらったという。子どもたちは好きなファッションのため勉強を頑張っている。パパといちかちゃんは弟・妹たちに影響されてド派手になったという。冷蔵庫にはパパが作ったもずくが入っていた。パパは料理が得意で早く帰宅できる時は作っている。アクセサリー&エクステも全部手作り。パパがデコラになったのは2023年10月。それ以前はパンチパーマでヤンキーみたいだった。ママとはお互いに改造車が好きで知り合った。いちかちゃんを含めて上の子3人はママの連れ子。うるるさんは妻の生き様に一目惚れ、3人の子どものパパになることを決断した。いちかちゃんは「今のパパで良かった」と語った。獨協大学前駅でいちかちゃんの家について行ったら…見た目が派手だから筋を通すファッションで幸せになる家族が見られました。
JR巣鴨駅前で出会ったのは会社員の男性。「家、ついて行ってイイですか?」とお願いしたが断られてしまった。続いて出会ったのはゴミ拾いをしていた佐藤こういちさん(54歳)。茨城・日立の出身。地元で40歳前後まで雑誌の配送をしていたがリストラされ、実家を出て現在はゆうパックの配送をしている。自宅は埼玉・志木駅の近く。タクシー代は推定22kmを移動して11,320円(高速代430円)だった。築37年1Rで一人暮らし。家賃は43,000円。洗濯物がたまっていた。週に1度の休みしかやる時間がないという。布団はなく、座布団の上で寝ていた。ずっと帽子を被っているのはハゲているから。実家から持ってきたカーテンは長さが足りていなかった。肘をぶつけてしまい、窓にはヒビが入っていた。ロフトのハシゴをぶつけてしまい、天井にもヒビがあった。壁には犬の写真などが貼ってあった。母親が実家から持ってきた雑誌の切り抜きだという。タンスはなく、服が山積みになっていた。読んでいる本を見せてくれた。言葉で自分の人生の良い悪いが決まると書いてあるという。ネガティブで悪い言葉を使うので、ありがとう・感謝などの言葉で良い人生を引き寄せたいと語った。
JR巣鴨駅前で出会った佐藤こういちさん(54歳)の自宅を訪問。一人暮らしで独身。女性との交際経験はないという。この日は12月25日のクリスマスだった。0時を過ぎて26日になってしまったが、近くのコンビニで50円引きのケーキを買ってスタッフとお祝いした。巣鴨駅で佐藤さんの家について行ったら…ネガティブな男性がゴミ拾いで少しポジティブになり始めた瞬間が見られました。
- キーワード
- ローソンストア100巣鴨駅
スタジオゲストの南果歩が運気を上げるために(部屋の)お掃除しましょうと語った。
国分寺駅前で出会ったのはエキストラ審査に落ちて凹んでいた東憲一郎さん(55歳)。IT系に勤務する会社員。タクシー代を支払って家までついて行った。推定距離2km、料金は1,200円。小金井の実家に一人暮らし。父親の介護をするため実家に戻った。昼までは妻・娘がいる高円寺の家にいたという。実家は築43年の4DKで持ち家。父・吉夫は2年前(2016年)に他界。母は約10年前に亡くなった。若い頃はやんちゃで約20年帰らなかった。冷蔵庫には父と作っていたというカレーのルーが入ったままになっていた。リビング以外は電気がつかなかった。久しぶりに2階へ上がると難しいタイトルの本がたくさんあった。父は宇宙開発事業団(NASDA)に勤務し、気象衛星ひまわりの制御をしていた。種子島で仕事をする父とは幼少期はほとんど会えない生活だったという。
スタジオゲストの南果歩が運気を上げるためにやっている事を語った。朝イチで窓を全開にして空気を入れ替え、セージをたいてお清めするという。
国分寺駅前で出会った東憲一郎さん(55歳)の実家を訪問。父・吉夫さんを介護するため実家に戻った。介護することで親子の時間が生まれた。ボケ老人と酔っ払いは相性が良く、話が合ったという。カレンダーは父が救急搬送された2016年11月14日で止まっていた。実家は父親との最後の思い出が詰まった大切な場所だった。
「有吉ぃぃeeeee!」の番組宣伝。
国分寺駅前で出会った東憲一郎さん(55歳)の実家を訪問。父・吉夫さんを介護した思い出を語った。不仲だった50年分の時間を取り戻すのに一役買ったのがテレビだったことから、エキストラ出演を通じて俳優を目指しているという。国分寺駅で東さんの家について行ったら…50年分の時間と幸せを介護中に取り戻した親子の話が聞けました。