- 出演者
- 矢作兼(おぎやはぎ) 狩野恵里 ビビる大木 中嶋朋子
ゲストの中嶋朋子がタイトルコール。矢作兼は味がありました、ビビる大木は富良野が見えましたよと語った。
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- 富良野(北海道)
横須賀中央駅前で出会ったのは少年野球一家。長男かつきくん(10歳)、次男はるかくん(7歳)、三男しゅうりくん(5歳)、母あきこさん(43歳)、父いよりさん(45歳)。家が近いためコンビニ代をお支払い。プロ野球チップスなど1,755円をお買い上げ。スタッフのためにコカ・コーラも買ってくれた。自宅は4LDKの持ち家。築13年で価格は4,000万円。プロ野球チップスを食べると、入っていたカードは2つとも甲斐拓也(巨人)だった。かつきくんが自慢のコレクションを見せてくれた。お手伝いをすれば1回50円。そのお金が買っているという。キッチンには弁当箱や水筒がたくさんあった。冷蔵庫の中はすっきり。唐揚げ用の鶏肉1kgやカルシウムを摂るための煮干しがあった。ダイニングには両親が恋人だった頃の写真が貼ってあり、かつきくんの図工作品が飾ってあった。2階はネットが張ってあり、野球のバッティング練習ができるようになっていた。パパも小・中・高と野球をやっていた。かつきくんの夢はメジャーリーガー。かつきくんがユニフォーム姿を披露してくれた。ランニングマシーンもあった。家族は1階でみんな揃って雑魚寝しているが、2階にベッドがあったのでスタッフが用途を尋ねると、ママは子どもたちが寝た後で私達がねと笑顔で教えてくれた。両親は2人ともバツ1。パパは22歳で結婚して29歳で離婚。ママは24歳で結婚したが子どもに恵まれず28歳で離婚して東京から横須賀に戻ってきた。現在は3人の子宝に恵まれ、めっちゃ可愛いと語った。家中に子どもたちの写真が貼ってあった。
取材から5年後、再び新谷さん一家を訪ねた。15歳になった長男かつきくんは食べ盛りで貫禄があった。次男はるかくんは12歳、三男しゅうりくんは10歳。中学時代のかつきくんは野球のクラブチームで4番として活躍し、神奈川県の選抜メンバーに選ばれた。体重80キロだが、100mを13秒台で走り、ポジションはレフト。2階の練習部屋でバッティングを見せてくれた。1日300球を打っている。高校は野球の強豪校に進学するが、これまで軟式だったため、硬式でハイレベルな高校野球に自分のバッティングが通用するのか不安だという。
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- 横須賀(神奈川)
高校野球で自分のバッティングが通用するのか不安だというかつきくんのため、レジェンド谷繁元信さんに来てもらった。現役時代は捕手として活躍、1998年の横浜ベイスターズ日本一の立役者。中日ドラゴンズでも監督を務め、野球殿堂入りを果たした。27年連続ホームラン記録や捕手としての2963試合出場は世界記録。まずはフォームをチェック。タイプとしては中村剛也や日本ハムに入った頃の中田翔に近いという。左足が外に開いてしまうと指摘。左足が外に開くと体も開いて外側のボールに届かない。改善策は両足を回す。両足を回せば体の軸がブレなくなり、外側の球にも届くという。新谷さん一家を再び訪ねてみたら…夢に向かう青年の未来をこれからも追い続けたいと思いました。
JR西荻窪駅前で出会ったのはバツ1同士のカップル。家が近いためコンビニ代をお支払い。おでんや日本酒を購入して3,868円だった。男性の澤せいいちさんは東京都出身の64歳、女性のあずささんは大阪府出身の46歳。一緒に住んで3年になる。澤さんは昭和21年から続く銭湯・天狗湯の3代目。自宅は銭湯の裏側にあり、2DKの持ち家で築54年。銭湯の中も見せてもらった。今では貴重となった富士山の背景画があった。桶は関西型。
JR西荻窪駅前で出会った天狗湯の3代目・澤さんの家までついて行った。銭湯の中を見せてもらった。桶は関西型。関東型に比べて浅い。関西人はかけ湯をするので、浅めになっているという。看板に書いて興味を惹くため関西型にした。現金だけでなくPayPay決済も対応。牛乳は瓶。紙パックと比べて3~4倍売れるという。午後3時45分に開店して夜11時45分に閉店。6~7人が働いている。100人が入ると売上が4万円。土日のイベント時は200~300人が来るという。戸棚には古い写真がたくさんあった。初代は品川区で銭湯を営んでいたが、戦争で燃えてしまい、西荻窪にあった中古の銭湯を譲り受けた。昭和44~45年に建て替えて現在に至る。2代目の父親は薪でお風呂を炊き、煙突もあった。1番大変だったことを質問すると、ずっと家にいなきゃいけないと答えた。バブル時代は同級生たちが遊びに行くのが羨ましかった。銭湯は労働時間が長く、寝るのは朝4~5時だという。バルブは長年の感覚でその都度調整する。掃除はタワシで細かくやっている。2階が住居スペース。内縁の妻・あずささんが大好きなバンド怒髪天のCDがあった。怒髪天は1984年にデビューした3人組ロックバンド。“リズム&演歌”という独自のジャンルを確立。2人は飲み屋で意気投合したという。あずささんはIT関係で働いているので、ご飯は一緒に食べれない。夜は仮眠して一緒に晩酌する。銭湯の定休日は火曜・金曜なので土日休みのあずささんと合わない。昔は何軒も銭湯があったが、今では天狗湯だけになってしまった。澤さんは子どもがおらず、70歳ぐらいでやめようと考えていたという。
JR西荻窪駅前で出会った天狗湯の3代目・澤さんの家までついて行った。子どもがおらず、70歳くらいで銭湯を畳もうと考えていたが、跡を継ぎたいという若者・青木さん(25歳)が現れた。西荻窪駅で澤さんの家について行ったら…若手に技術を伝授しながら仕事に励む64歳銭湯店主の話が聞けました。
やめようと思った事はあるんですか?と質問されたゲスト中嶋朋子は、ずっとやめたいとは思ってましたけど、邦さん(田中邦衛)が18~19歳の時に詩を書いてくれ、「この人はずっと見ててくれたんだ」と思って本当に感動したと語った。北の国からで言うと、帰郷(1989年)あたりだという。
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- 北の国から89’帰郷田中邦衛
JR新小岩駅前で出会ったのはぽっちゃりスナックの店主・北大路枕さん(本名ではない夜ネーム・45歳)。仕事中だったが、中抜けして一旦家へ。家が近いためコンビニ代をお支払い。ダイエット中ということでカロリーオフのコーラなど3,546円をお買い上げ。自宅は築26年の1LDKで家賃13万円。部屋はマフィアのアジトをイメージしており、窓には鉄格子が取り付けてあった。主食はマルちゃんの焼きそば。冷蔵庫の上には非常食だというパンがのせてあった。10kgのダンベルが置いてあったが今は使っていない。マッチョな見た目の北大路さんは学生時代に野球と砲丸投げをやっていて、砲丸投げは東京で3位になった。日韓W杯(2002年)の頃は痩せていて中田英寿に似ているといわれた。当時の写真を紹介。3~4年前から太り始め、服のサイズは2XL。服は胸囲で選ぶ。136cm以上だという。机の上には血圧の薬があった。2年前は上が250、下が130で即入院だった。当時の食事はケンタッキー→マクドナルド→ラーメンだった。今も体重110kgと大柄だが、当時はよりデカく130kgまでいった。カレー・トンカツを控えて20kg減量した。冷蔵庫の見せてもらうとケンタッキーが入っていた。バターとコンソメを入れてチキンをお米と一緒に炊飯器で炊くと美味いと教えてくれた。
「有吉ぃぃeeeee!」の番組宣伝。
(北の国から)撮影で怒られた経験を質問されたゲスト中嶋朋子は「OKが1回で出た試しはない。10~20回は当たり前」答えた。出演者たちは演出家へ皮肉を込めて「もう1回」と指を立てることができる射撃用の手袋をプレゼントしたという。
JR新小岩駅前で出会ったぽっちゃりスナックの店主・北大路さん(45歳)の家までついて行った。めまいがして病院へ行ったら、血圧が250あったが、忙しかったらしく薬を処方されただけで帰された。翌日は最後の晩餐だと思って「かっぱ寿司」へ。寿司は食べず、サイドメニューの唐揚げ・期間限定のラーメンを食べた。帰るための階段を登っていたら、再びめまいがして弟を呼んで病院へ連れて行ってもらったら即入院だった。病名は高血圧症。「血管が破裂して死ぬ」と告げられ、2週間入院して薬を飲んで血圧を下げた。薬は現在も飲んでおり、血圧は上が140、下が100。白い目で見られることが多いというぽっちゃりの苦悩を語った。死にかけたことで人のために生きたいという思いが強くなった。ぽっちゃりスナックをやっているのは、ぽっちゃりの女の子たちが活躍する場を提供したい思いもあるという。北大路さんが店主を務めるぽっちゃりスナック「サクランボ少年」は新小岩駅から徒歩2分。お店の中を見せてもらい、働いている女の子たちに話を聞いた。北大路さんは新小岩を「ぽっちゃりタウン」にしたいと野望を語った。新小岩駅で北大路さんの家について行ったら…新小岩に「ぽっちゃりタウンを作りたい」スナック店長の大きな夢が聞けました。