- 出演者
- 矢作兼(おぎやはぎ) 狩野恵里 ビビる大木 礼二(中川家) 剛(中川家) 関水渚
ゲストの関水渚&中川家がタイトルコール。中川家・剛は声を張ったが、ビビる大木は矢作さんが「声張るやつ嫌だ」と言ってたと明かした。
新潟県上越市は山間部で積雪4mを超えることもある豪雪地帯。移動販売車やまざくら号の買い物代を払う代わりに家を見せてもらう企画で出会ったのは重子さん。自宅は築約100年の6LDKだった。ストッカーで冬の間の食料を保管している。米専用の冷蔵庫もあった。この辺りでは一回に一台あるという。5円玉で作った亀と小槌を見せてくれた。長押には無線が取り付けてあった。何か起きた時に役場から放送があるという。重子さんの年齢はヒミツ。長男は59歳、長女は54歳。孫が6人いる。若い頃は年に4~5回旅行していた。夫・六蔵さんは夏は農業、冬は大阪へ出稼ぎし、大阪のふぐ屋で親方をしていた。昔は出稼ぎが当たり前で子どもを高校へ行かせるのがやっとだった。5ヶ月間離れ離れになってしまったが、カラオケしていて寂しくはなかった。風呂場には洗濯機と乾燥機があった。豪雪地帯では乾燥機が必需品。お風呂は石油で沸かす。コタツに入れる豆炭を作る機械もあった。コタツの中には洗濯物が干してあった。家を見せてもらう代わりに支払った買い物代は2,215円。卵、ハム、割り箸などを購入。割り箸を購入したのはご近所とのお茶飲みが日常だから。冷蔵庫にはみょうがの漬物が入っていた。重子さんは25~6歳の時にお見合いで結婚。1つ年上の夫は腰を悪くして寝たきり。重子さんは夫が「うちの嫁は日本一の嫁で良い嫁だ」と言ってくれて嬉しかったと語った。最後にもう1回年齢を聞くと、昭和7年生まれの85歳だと教えてくれた。
重子さん夫婦を取材してから7年後、再び自宅を訪れると、変わらぬ肌艶の重子さんが出迎えてくれた。自宅も変わっておらず、今もお茶会を開いているが、一番の仲良しは先日亡くなった。夫も4年前に92歳で亡くなった。コロナ禍だったので面会できなかったという。夫との思い出を語ってくれた。一緒に過ごした65年は「よかった」と言える時間だった。取材スタッフのためにお茶会の準備をしてくれていた。家で見られなくなった7年前の放送を一緒に見た。重子さんは来月で95歳になる。7年前はサバを読んでいたという。重子さんの家を7年後に再訪したら…夫との楽しかった思い出と7年越しの真実を聞くことができました。
中川家・剛は中森明菜の大ファン。チケットが1枚7万円のファンクラブイベント(ディナーショー)に行った。本人が登場したら、おっさんが全員号泣したという。矢作が高校生の時にアルバイトしていたレストランに中森明菜が来店したことがあり、アイスミルクティを注文。矢作は「使ったストローを」まで話し、ちょっと間をおいてから「ちゃんと捨てました」と語った。
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国際鉄道模型コンベンションは23年続く鉄道ファンのビッグイベント。鉄道模型ファンや企業が参加し、23回目となった昨年は東京ビッグサイトで開催され約2.3万人が参加。会場で出会ったのはYouTuberのMAJIRIさん(25歳)。イベント終わりに亀有駅前で合流、家まで歩いてついて行った。築33年の1Rで家賃は68,000円。玄関を入ると、いきなり線路。部屋の真ん中には特大模型。企業から鉄道模型制作の案件を貰っている。趣味で作り始めて仕事になった。模型の裏にベッドなど生活スペースがあった。模型の大きさは1畳。「1畳レイアウトを作ってください」と依頼があるという。Nゲージを走らせて見せてくれた。何かを支払う代わりに家を見せてもらう番組なので、今日のイベントで購入した近鉄ビスタカー(中古)の代金12,000円を支払った。三重出身のMAJIRIさんは小さい頃にこの電車に乗って大阪へ行き、ビルの中を高速道路が貫通してるTKPゲートタワービルを見たりした。街やビルを眺めるのが好きで、渋谷のスクランブル交差点も作ってしまった。Xに投稿してたくさんのいいねをもらった。一人一人服装が違うこだわりだった。カフェがあるビルの中にも人がいた。大学で建築系の勉強をしており、その延長線で趣味で作り始めたという。新卒で模型製作の会社に入ってジオラマを作っていた。
今の仕事をしていなかったら?と質問された関水渚は「家政婦とかやりたかった」と答え、出演ドラマ「家政婦クロミは腐った家族を許さない」を告知した。
企業からの依頼でジオラマを制作しているYouTuber・MAJIRIさん(25歳)の家までついて行った。新宿駅南口のジオラマを見せてくれた。断面になっており、南口とバスタ新宿を通す横断歩道の下は山手線が走っていた。Google Earthなどの航空写真を見ながら制作したという。自分の家に新宿・渋谷を置けるのがジオラマの魅力。好きなように電車も走らせて写真を撮れると語った。次は東京駅を作りたいという。山手線の駅を全部再現したいと語った。無理矢理な構造を実現してるところに魅力を感じる新宿が一番好きだという。ジオラマで残せるのは最高の魅力とも語った。東京ビッグサイトでMAJIRIさんの家について行ったら…神の目線を手に入れたい境地まで行った鉄オタのかがみに出会えました。
MAJIRIさんが作ったジオラマがスタジオに登場。約600時間(3ヵ月)をかけて制作されたオリジナル都市のジオラマだという。山手線と阪急線がすれ違う夢の世界が実現されていた。電車が走る様子を見た矢作は「Shall we ダンス?」思い出したよと語った。
福岡県博多で出会ったのは砥綿隆二さん(52歳)。タクシー代を支払う代わりに家までついて行った。推定距離8.0km、3,790円だった。玄関にはシンビジウムの鉢が並んでいた。ベランダに出していたが、雪に弱いので避難させたという。グローブやバンテージが置いてあった。15~25歳くらいまでボクシングに打ち込み、現在も趣味でやっている。矢沢永吉が好き。部屋の中にも植物がたくさんあった。20年前に妻と購入した観葉植物はいまだに育て続けている。
福岡県博多で出会った砥綿隆二さん(52歳)の家までついて行った。妻・ゆきこさんは12年前に47歳で亡くなった。悪性リンパ腫(血液系のがん)だった。植物が多いのは妻が好きだったから。妻はスナックのママで客として出会った。冷蔵庫には酒のツマミの煮物が冷やしてあった。妻の父と飲んでいるという。11月5日が命日、毎月5日の前に2人で月命日の飲みをして偲んでいる。抗がん剤で髪の毛が抜けてしまう闘病中に妻がかぶっていた帽子を見せてくれた。妻の病気は「節外性NK/T細胞リンパ腫、鼻型」。鼻腔や副鼻腔に発生する血液がんの一種。痛みの他、原因不明の発熱などの症状がある。入院した時はステージ4で5年生存率20%と言われた。1度は寛解したが、半年後に再発した。当時の日記を見せてくれた。妻が搬送された救急車のサイレン音が忘れられないという。
「有吉ぃぃeeeee!」の番組宣伝。
福岡県博多で出会った砥綿隆二さん(52歳)の家までついて行った。妻・ゆきこさんはがんになり12年前に47歳で亡くなった。闘病を記録したノートや闘病中の写真を見せ、亡き妻への想いを語ってくれた。唯一残る妻の歌声を聞かせてくれ、結婚式のビデオも見せてくれた。博多駅で砥綿さんの家について行ったら…歌の上手な妻の生き様と夫の深い愛を聞くことができました。