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オープニング映像。
龍飛の名物マグロ漁師・水嶋光弘さんに密着。今シーズン1か月半マグロが釣れていないという。妻の夏子さんは陰で目に見えない所で見守るのが妻の役目と話す。水嶋家は1973年に結婚、30~40代は土木工事で出稼ぎをし50代でマグロ漁師となった。2023年には喜寿77歳となった光弘さん。光弘さんの漁はダンプ漁であるが1か月半不漁状態で原油高で燃料代も高騰している。夏子さんは土産などを売っている名物お母さんである。光弘さんの仕掛けに魚がかかるが逃げられてしまった。
光弘さんの一日の楽しみは夏子さんのご飯でこの日はマグロの昆布巻きなど。翌日マグロの情報が入り立飛の漁師たちが集まっていた。周りの船では当たりだし光弘さんの仕掛けにもかかるが糸が切れてしまった。翌朝光弘さんより早く船にいた夏子さんは願掛けを行った。その日の漁は雷注意報がでている中での漁でマグロが船の近くで跳ねそしてかかった。神頼みしながら引き上げ抵抗が弱まったところで電気が流れる機械を投入し215kgのマグロを釣り上げた。
この日祝勝会が開かれた。水嶋さんたちと焼き肉を食べていたのが龍飛で最年長の成田金悦さん。御年88歳で現役で成田さんに密着。漁に使うエサはアオリイカで生きの良いものを流していく。成田さんは20代後半に漁師となり16年ほど前から龍飛でマグロ漁を開始。船は1.5トンくらいだがGPSと魚群探知機のみが装備されている。漁具は自分の手で作ることで金をかけないようにしている。龍飛にはマグロ漁師は成田さんを含め3人で少なくなってくると寂しいなど話した。
別の日漁に出ると使うのは小浜文雄さんがやっていたトビウオを使った小浜スペシャルを使うと話した。過去に小浜さんが遊びに来たことがあり引退後トビウオを譲り受けたという。エサを流していると異変を感じテグスを引き上げるとトビウオが食いちぎられていた。成田さんはおそらくサメがいるとこの日の漁を引き上げた。そんな成田さんが大事しているのが漁を記録をしたノートで釣った時の状況などについて記載されていた。別の日ダンプ漁で漁を行うと仕掛けが回り始め成田さんは巻き上げ機にセット。成田さんは手応えがないと不思議がるがマグロが抵抗をやめて成田さんを騙そうとしていたようだった。マグロとの闘いに勝利した成田さん、テグスを引っ張っていた軍手はボロボロなっていた。釣り上げたマグロは265kgだった。
大間のマグロ漁師菊池正真に密着。出会いは10年前当時22歳の頃で父の船に乗り込み漁師修行を行っており、今シーズン独り立ち。そんな正真の目標であり壁は師匠で父の正義。正義さんは年間水揚げ金額第1位に君臨し続けるトップ。正真はそんな凄腕漁師の長男として誕生している。そんな正真さんは子沢山に恵まれ養うため漁に出る。7月下旬延縄漁に使う道具の準備を行う。船は父の船より小さいが小さい船でもやれるところをみせると話す。使うエサはサバでイカより早く捕まえることができるためこちらを採用している。この時期太平洋にいるマグロは良質で一攫千金を狙い多くの漁船が漁に出ていて、到着するとすでに2隻船があり良いポイントを確保できた。
マグロが活発に動き出す早朝に仕掛けを回収し始める。すると縄に手応えがあり暴れて糸が絡まるが身焼きすると価値が下がるため正真さんは長期戦を選ぶ。マグロは残る力で抵抗するが正真が勝利した。鮮度を保つため神経を締めて死後硬直を遅らせるなどの処理を行う。釣り上げたのは115kgだった。港には父正義がいた。正義は褒めないで北で漁をした方が良かったと指摘した。
正真について母清子は中学の頃は学校から1日3~4回電話が来る感じだったという。そんな正真は中学のときには全国大会へ出場するほどの剣道の腕の持ち主で現在は漁が休みの時、小学校の剣道部で指導を行っている。高卒後に父の船に乗り込み漁師修行を行った。現在正真には5人の子どもがいる一家の大黒柱。妻の瑞穂とは13年前に大間の飲食店で出会い正真の猛アタックで2011年に結婚した。家族のためにもっと稼がないといけない。
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- 大間町立大間小学校
この日日暮れとともに船を出した正真は寒ブリを釣り上げる。マグロだけでは生きていけないため他の魚を釣り上げる必要がある。10月上旬、この日強い風が吹いていたが出港を選ぶ6時間をかけて漁場に到着。すでにライバル戦が陣取っていた。正真は経験から漁場を選び縄を入れていく。その頃海面には小魚が集まっておりマグロが来る可能性が高いと話す。そして午前5時半に仕掛けを回収していく。気持ちと裏腹に連れておらず最後の仕掛けを回収しに向かうと強い引きがあった。電気ショッカーを投入する
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- 寒ブリ
マグロ漁師の菊池正真に密着。強い引きがある仕掛けに電気ショッカーを投入するが効かない。船の後方へ逃げていってしまう。マグロにわずかに電気ショッカーが届いていなかった。なんとか当てることができ釣り上げることに成功した。釣り上げたマグロは105kgだった。
大間のナンバーワン漁師熊谷義宣に密着。熊谷はソナーを使いぶっつけ漁を行う。熊谷は2年連続マグロ水揚げ金額一人乗り部門で1位を獲得。しかし今シーズンはまわりにライバル船が存在しない。昔一本釣りをしていた人もはえ縄に転向したという
マグロ漁師熊谷義宣に密着。マグロ漁がはえ縄への転向のそもそも原因がイカの不漁で多くの漁師が遠出していたという。2014年には342kgのマグロを釣り上げるなど怪物のような人がいっぱいいたと熊谷は話す。特に小浜文雄さんに憧れがありマグロ釣りをしていると話した。仕掛けは手作りで一生懸命魂入れて作っている。マグロを狙うチャンスは限られる中準備をして太平洋に向かうという。
午前2時半に出港。やることは同じで見つけられるまでが大変であると話す。そして反応がないまま諦めていると魚探にイワシの反応をキャッチし向かうとマグロが跳ねたそして仕掛けを入れ闘いが始まった。マグロが大きいのかびくともしないとつぶやく。30分が経過しマグロの動きが弱まり引き上げ電気ショッカーの電源をいれ、巨大マグロを釣り上げた。さらに続けて144kgのマグロを釣り上げた。港に戻り最初に釣り上げたマグロは236kgだった。
大間のやもめ漁師細間正樹に密着。細間さんと出会ったのは2006年で妻と娘2人の家族4人で暮らしていた。しかし、2013年に加代子さんがくも膜下出血で亡くなる。その後、正樹さんは漁をしながら娘たちの送迎や家事などを行ってきた。2019年長女の愛華さんが看護師専門学校に入学し看護師として就職。そして今年は次女の心寧さんも巣立ちの時を迎えていた。心寧さんは母と同じ介護師の道を志しており、進路は青森市内の大学で初年度の学費は100万円で正樹は巨大マグロを釣り上げるために奮闘する。この日は組合の仕事である雑草駆除を行った。正樹の船は父の代から約30年経過しておりモーターが漏電しており新品14万円で買い替え漁に出る前からすでに赤字状態となってしまった。
函館では長女愛華が看護師として奮闘していた。父について朝ごはんを作り、学校に送ったりしてから漁に行って改めてすごいなと思うと話す。午前5時30分、漁場に到着した正樹の前でマグロが跳ねた。正樹は小浜文雄直伝の小浜スペシャルで漁に挑む。
大間のやもめ漁師細間正樹に密着。正樹は小浜文雄直伝の小浜スペシャルで漁に挑むがテグスが切れてしまった。そんなある日漁協から書類が届き今シーズンのマグロ漁獲枠は計302kgとなった。この日深夜に船を出しブリを釣り上げた。自宅には娘たちがおり正樹の誕生日を祝った。
この日は心寧の志望校の合格発表で無事に合格した。そして入学書類を確認し初年度の学費は100万円で痛い出費であるがどんな形でもやり遂げたいなど話した。漁獲枠ギリギリの得物を求め漁を出る。しかし獲物やライバルの姿もなくハズレかと諦めかけた時沖の方でマグロが跳ねた。さっそく現場に向かい仕掛けを投入した。
大間のやもめ漁師細間正樹に密着。小浜スペシャルでマグロがヒットした。テグスを巻きやすい場所に移動しテグスを巻き上げていく電気ショッカーを投入し船に乗らないほどに大きさで港まで運んだ。釣り上げたマグロは249kgだった。
細間正樹が師匠である小浜文雄のの家を訪れた。小浜は2023年3月24日に92歳で永眠した。細間正樹は親以上の親だったかも分かんないと話す。小浜と出会ったのは2004年、当時74歳の頃だった。なだやれるとアピールし妻かつの手編みセーターなどを着て漁に出た。船には魚探しかなかったが唯一の武器であるトビウオを使った漁「小浜スペシャル」でその姿勢に熊谷義宣も一目置いていた。2年には207kgのマグロを釣り上げていた。
その後もカメラの前で大物を釣り上げてきた小浜、妻のおしどり夫婦ぶりは番組名物となっていた。小浜はかつが務めていたキャバレーに通い詰め口説き落としたという。漁に向かう小浜のためにおにぎりを用意したりトビウオに願掛けを行うのもかつの役目だった。