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オープニング映像。
世界中を巡回している須藤玲子の展覧会が水戸芸術館にやって来た。訪れたのは林家たい平。美術大学出身で、卒業制作に型絵染めの作品を手がけたほど美しい布が大好き、須藤玲子の大ファンでもある。須藤玲子は思いも寄らない自由な発想で、これまで3700種類ものテキスタイルを生み出してきた。その集大成が「続・こいのぼりなう!」。全長2m35cmのこいのぼりの大群。使われているのは50種類のテキスタイル。錆染めについて、須藤玲子は作業着についた錆の汚れに美しさを感じてデザインしたという。カラフルな布の上に黒布を合わせたステンドグラス、細かい格子模様は黒布を酸で焦がして作った。50種類のテキスタイルを仕立てたのは日本各地の染織工場の職人たち。
東京・六本木に須藤玲子が率いるテキスタイルデザインスタジオ「NUNO」がある。NUNOが手がけたテキスタイルのほか、洋服や小物も販売している。まず重要なのがデザイン。3層に色を塗り重ねた紙をカッターで削り、古い壁や床を表現し、「トルコの壁」というテキスタイルを生み出した。全国26の産地、115の染織工場と連携している。いま取りかかっている新作が“鹿の子絞り”から発想を得たもので、出来上がりのイメージを職人に伝えるため、和紙にシワを寄せた。試作品をお願いしたのは滋賀・湖南市にある「なかにし染工」。使う素材はオーガンジー、そこに熱収縮布を合わせる。まず、熱収縮布の上にオーガンジーを固定。その上に鹿の子模様の四角い枠部分をシルクスクリーンで糊付けしていく。須藤玲子は鹿の子の中心に白い点をデザインしていた。点になるのはパイルと呼ばれる繊維。手作りの装置にパイルを入れて、シルクスクリーンで糊付けした点の部分に静電気でパイルを付着させていく。静電気の効果でパイルの繊維が真っ直ぐに立って、美しい点となった。熱すると下地の熱収縮布に引っ張られ、上のオーガンジーも模様に沿ってシワシワになった。この技法は長年研究してきたものだという。展覧会には須藤玲子と各地の工場との共創をイメージした作品もある。信頼する職人のもとに出向き、細かなやり取りを続けて作品を生み出す。
須藤玲子は幼い頃から家に呉服の行商がやって来るほど着物や反物が身近にあったという。武蔵野美術短期大学で染織を学び、卒業後は手織り作家として活動していた。30歳の頃、世界的に活躍していたテキスタイルプランナー・新井淳一に誘われ、「NUNO」の立ち上げに参加。創業から3年後に経営を受け継いだ。その年、ニューヨーク近代美術館のキュレーターが訪ねてきて、日本のテキスタイルの展覧会を開催したいのでリサーチを手伝ってくれないかと依頼された。キュレーターと共に10年にわたって日本全国の染織工場をリサーチ。この経験によって、膨大な知識と産地とのつながりを持つことができた。1998年、ニューヨーク近代美術館が開催した展覧会は大盛況。須藤玲子の作品も注目を浴び、活躍の場を世界に広げていった。新たな挑戦として取り組んだのが、こいのぼりの作品。
こいのぼりが初めてインスタレーション作品になったのが、2008年にワシントンD.C.で開催された日本文化を伝える展覧会だった。須藤玲子はデザイン部門で制作を任された。作品のモチーフとして選んだのが“こいのぼり”。以前から、こいのぼりを作っており、尾びれも背びれもある魚の形だった。しかし、その展覧会でアートディレクターを務めていたアドリアン・ガルデールから、こいのぼりをシンプルな筒状のフォルムにしてはどうかと提案された。シンプルな造形がテキスタイルの質感や色彩をより魅力的に見せてくれた。須藤玲子は様々なクリエイターと組むことでテキスタイルの可能性を追求していった。広島・大竹市に去年オープンした下瀬美術館では設計士した建築家・坂茂からオーベルジュのテキスタイルを任された。
2000年になって科学的に今あるテキスタイルを全部回収して、そこからまた新しい繊維を作るというケミカルリサイクルの技法が確立された。須藤玲子は自分たちの布はケミカルリサイクルのプラントに送れない生地だと知り、作品制作の考え方を変えた。廃物利用「きびそ」は絹の製造行程で廃棄されていた素材を職人と協力してテキスタイルにしたものだという。
「新美の巨人たち」の次回予告。
「スポーツ リアライブ」の番組宣伝。