- 出演者
- 伊藤利尋 片山千恵子 中島芽生 木村拓也 山木翔遥 日比麻音子 田中瞳
本日から片山千恵子さんが明日をまもるナビの新キャスターとなる。片山さんは「絶対にお会いしないみなさんが揃っているということで光栄でございます」などとオープニングトークをした。伊藤さん達は本日のみ出演する。今年も6局のアナウンサーが集まった。
オープニングの映像
車内で地震に遭遇した2人は直後、電話やインターネットが全く繋がらない状態になったという。その後、ドライブレコーダーを確認した2人は災害報道に役立つのではないかとSNSに投稿した。
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- 令和6年能登半島地震珠洲市(石川)
映像に映っていた倒壊した建物には人がいなかった。能登半島地震ではほぼ震度5弱以上で停電などにより情報が入ってこないことで人々を不安にさせた。10日後に日比さんが被災地に訪れた際にはやっと電気が通ったぐらいだったという。木村さんは#拡散希望の情報が不確かなことが多かったとした。大木さんによると不確かな情報でも入れたいと思うという。今井さんは無料で温泉を開放しているなどSNSの情報を見定めることも私達の仕事だなどと話した。
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- 令和6年能登半島地震輪島(石川)
能登半島では地域によって被害が異なった。珠洲市では津波、輪島市では火災や家屋の倒壊などが起きた。先が見えない不安の中、地元を離れたくないという声が聞かれた。
行政は明確に二次避難をしてほしいとメッセージを出していた。しかし取材をするとそう簡単ではないと言う声があった。山木さんは「現地で取材している限りそういうムードではないのかな」などとコメントした。中島さんは地域の情報が二次避難をしてしまうと入ってこなくなるのではないかなどの理由から被災地を離れられなくなっている人がいたなどと話した。木村さんは被災地で「正しいだけじゃ人は動かないんです」と言われ何も言えなくなってしまったなどと話した。その上で”いのちともに守る”と”明日を生きる”と言うところが非常に混在しているななどと話した。2007年に能登半島で起こった地震から復興してきたにも関わらずまた10年以上かけて元に戻すなんて今は考えられないなどの声もあった。
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- 輪島市(石川)
片山アナは2011年当時山田町と陸前高田に取材に行き、一人ひとりの声に耳を傾けることが一歩だと感じたという。2007年にも能登半島地震があり、復興頑張っているところ、能登から東北にエールを送るという取材もしていて、今度東北の方が能登にエールを送ってくれていてまさにエールのリレーに繋がっていると感じている。木村アナは2013年入社だが、3.11のタイミングで取材をしていないという負い目を感じてきた10年だったとの意見に、他のアナウンサーも同意。アナウンサーだけでなく、東日本大震災発生時に大木さんは大学では若手で、定年を迎える教授にこんなの初めて見たと話したときに、その教授も「ぼくも初めてだよ」と言われたという。次の災害はすべての人にとって初めてだと謙虚に受け止めないといけないと改めて思ったという。
能登取材に行った経験を踏まえたうえで、平時に1人でも多くの命を守るために何ができるのかという宿題を事前に考えてきてもらっている。今井アナは「テレビを見る」。志賀町に取材に行き、高齢男性は大津波警報が出てすぐに高台に避難をしたという。なぜすぐに避難できたか聞いたら、東日本大震災の津波の映像を思い出したと話していたという。13年前に起きた映像が石川で人の命を守る行動に直結したとの期待を込めて書いたという。中島アナは「事後報告にしない」。初めて見る方でもしっかり伝わるように言葉や情報を足すことで伝えていかないといけないなどと話した。山木アナは「話し合って考える」。備えてなければ何もできないというのを目の当たりにしたので、まず家族で自分も話そうと思ったという。日比アナは「最大限想像する」。自分の身を守るために想像を繰り返すことで、自分を守る手段を増やすことができるとし、アナウンサーとしてどの言葉が必要が想像して伝えられるのではなどと話した。田中アナは「日頃から輪をつくる」。日頃から周りの人に挨拶するだけで、もしもの時に助け合えるかというハードルを超えられるのではと感じたという。木村アナは「本気」。リアル防災訓練なども体験し自分ごとで考えるということを自分に落とし込んだつもりだったが、消化しきれない部分があったという。それは誰かの本気に向き合うや、本気を聞くことが自分ごとになるために必要だと感じたなどと話した。1人でも多くの命を守るために何ができるのか、6局のアナウンサーが考えてきた回答に大木准教授は、次に来る災害に備えるためより具体的な状況を想定したほうがいいと提案。