2023年11月27日放送 22:00 - 22:45 NHK総合

映像の世紀バタフライエフェクト
パリは燃えているか

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(オープニング)
今回は…

1944年8月。ドイツ占領下のパリに連合軍が迫る中、パリ市民たちは銃を手に蜂起した。その報せを聞いたアドルフ・ヒトラーはパリの徹底的な破壊を命じたが、パリを治めていたディートリヒ・フォン・コルティッツ大将によってその命令は黙殺される。待てども届かぬ破壊の報告に、苛立ったヒトラーは繰り返し叫んだ。「Brennt Paris ?(パリは燃えているか?)」…。コルティッツがヒトラーの名に背いて守り抜いた唯一無二の都・パリ。アンドレ・マルローは、そのパリに生きた3人の名前を挙げてこう語っている。「20世紀のフランスには、この3人の名前が残るだろう。シャネル、ド・ゴール、ピカソだ」。ファッションに革命を起こし、モードの女王に上り詰めたココ・シャネル。ドイツ軍の監視を受けながら人類史に残る傑作「ゲルニカ」をパリのアトリエで描き上げたパブロ・ピカソ。亡命先から市民に徹底抗戦を呼びかけ、戦後のフランスに大統領として君臨した若き将軍、シャルル・ド・ゴール。「たゆたえども沈まず」、市の紋章に刻まれたその言葉が示す通り、数々の試練を乗り越えてきたパリ。今回は、激動の歴史を刻んだ花の都に生きた人々が描く、100年間の物語。

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オープニング

オープニング映像。

(映像の世紀 バタフライエフェクト)
パリは燃えているか

19世紀末、既に芸術の都として揺るぎない地位を誇っていたパリ。街の中心には1889年に建てられたエッフェル塔が聳え、通りには着飾った姿の貴婦人たちが歩く。「ベル・エポック」、美しき時代と呼ばれたこの頃、若き画家がスペインからパリにやってきた。当時19歳のパブロ・ピカソである。伝統と革新が共存するパリに夢中になったピカソは、この地でスケッチに明け暮れる日々を過ごした。同じ頃、フランスの田舎町で孤児として育った少女、ココ・シャネルもパリを訪れた。孤児院で学んだ裁縫を活かしてお針子になった彼女は、1910年に27歳で独立。大きな野望と反骨精神を胸に秘めたシャネルは、このパリで才能を開花させていくことになる。

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第一次世界大戦の戦火がパリを襲った1916年。フランス北部のヴェルダンでは25歳の若き陸軍大尉、シャルル・ド・ゴールが部隊の指揮を取っていた。この戦いで負傷し、ドイツ軍の捕虜となった彼は強固な愛国心と不屈の精神で収容所生活を耐え抜く。第一次世界大戦は協商国の勝利によって終結したが、フランスは150万人に及ぶ戦死者という重すぎる代償を背負うことになる。

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戦火の去った1920年代、パリは「狂騒の時代」を迎える。戦後の復興を支えた外国人労働者や東欧で迫害されたユダヤ人達が流れ込んできたパリには多様な人種が溢れ、黒人差別の激しいアメリカからパリを目指す者も現れた。そのうちの1人、ダンサーのジョセフィン・ベーカーは「黒いビーナス」と呼ばれ人気者となる。輝きを放つパリは世界の芸術家たちをも引き付け、モイズ・キスリングやマヌエル・オルティス・デ・ザラテといった若き画家たちもパリに集った。華々しい時代の中、ピカソは物体の様々な面を纏める表現技法「キュビズム」を生み出す。この表現技法は同じくパリで活動していたシャネルにも大きな影響を与えた。シャネルは1921年に幾何学的な形に収めた香水「シャネルNo.5」を発表し、爆発的な大ヒットを記録。ファッションにおいてもスポーティで動きやすい女性服を産み出し、戦争によって家庭から解放された女性たちに新たな美を与えていった。しかし、こうした「狂騒の時代」は1929年の大恐慌によって終わりを迎える。

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1939年9月1日、ドイツがポーランドへ侵攻すると、ポーランドと同盟を結んでいたフランスはイギリスと共にドイツへ宣戦を布告。第二次世界大戦が勃発した。1940年の5月にはドイツ軍がフランスへと進軍を開始し、瞬く間にパリへと入城。フランス政府はパリを守るため、パリの無防備都市を宣言して事実上の降伏を選択した。パリはドイツ軍の占領下に置かれ、6月23日にはヒトラーが来訪。予てから憧れていたパリを目にしたヒトラーは、こう呟いたという。「パリを見るのが私の夢だった。それが今日叶えられてどんなに嬉しいか、言葉では表現できないよ」。

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ドイツ占領下のパリではドイツ兵たちが挙ってシャネルの香水を買い求め、ルーブル美術館に残されていたレプリカの美術品を眺めては悦に入った。そうした姿とは対照的に、フランス人達は労働者としてドイツの軍需工場で働くことを余儀なくされた。パリでは物資が配給制となり、深刻な食糧不足に見舞われる。自動車での移動も許可制になり、人々は自転車や荷車で移動した。そして、フランスに逃れていたユダヤ人たちもドイツ軍とフランス警察によって狩り出され、強制収容所へと送られていった。

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ドランシー収容所ルーヴル美術館

そんな中、海を超えたロンドンでは1人の男が占領下のパリ市民に徹底抗戦を呼びかけていた。イギリスに亡命していた無名の軍人、シャルル・ド・ゴールである。しかし、占領下で厳しい生活を続けていたパリ市民にその言葉を聞く余裕などなく、ド・ゴールの言葉は虚しく響くだけだった。亡命してもなおドイツと戦う道を選んだ彼とは対照的に、ドイツに協力する道を選んだのがココ・シャネルである。会社の経営権をユダヤ人経営者の手から取り戻すため、シャネルはドイツ軍の諜報員として彼らの占領に加担した。そして、パブロ・ピカソは「退廃芸術家」の烙印を押され、ドイツ軍による監視を受けながらもパリで制作を続ける道を選んだ。

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ドイツ軍による占領が長引くと、パリ市民の意識は徐々に変わっていく。シャルル・ド・ゴールはドイツ軍への抵抗組織「自由フランス」を結成し、連合国と協力してフランス国内のレジスタンス活動を支援した。パリでは自由フランスのシンボルであるロレーヌ十字が街の至るところに描かれるようになり、ジョセフィン・ベーカーも自由フランスの広報活動に協力。自由フランスに協力するパリ市民が増える中、連合軍は1944年6月にノルマンディー上陸作戦を成功させる。これに勇気付けられたパリ市民たちは市内にバリケードを築き、銃を手にして立ち上がった。「我が国は命がけの危険を冒してでも、高い目標を掲げて堂々と立ち向かわなければならない。フランスがフランスであるのは、国家として第一級の地位を占めているときだけである。フランスは、偉大さなくしてはフランスたりえないのである」。そう語るド・ゴールの言葉に裏打ちされるような市街戦の後、1944年8月25日にドイツ軍は降伏。パリは4年ぶりに解放され、凱旋したド・ゴールは英雄として称えられた。

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パリ解放の熱狂に酔いしれる市民たちは、抑圧されていた憎悪を同じパリ市民たちへと向けていく。街ではドイツ軍への協力者たちに対するリンチが横行し、ドイツ兵と親しくしていた女性は頭を丸刈りにして晒し者にされた。ドイツ軍の協力者であったココ・シャネルもスイスへの亡命を余儀なくされ、慣れ親しんだパリを後にした。

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戦後、復興に向けて邁進するフランスは臨時政府議長にシャルル・ド・ゴールを任命。国の舵取りを任されたド・ゴールは植民地からの大規模な移民受け入れを決め、彼らの労働力によりフランスの復興は加速。再びパリが輝きを取り戻す中、1954年にはココ・シャネルが復帰を発表。再びパリの地を踏んだ彼女は、イヴ・サン=ローランやクリスチャン・ディオールが相次いで発表していた懐古主義的なファッションを真っ向から否定する新作を発表。変わらず血気盛んなモードの女王としての姿勢を見せつけた。そして、ナチスの監視と占領下での生活を耐え抜いたパブロ・ピカソは名声をさらに確かなものとし、フランス政府からレジオンドヌール勲章とフランス国籍授与の申し出を受ける。しかし、彼はこれを拒否して1973年に亡くなるまで「永遠の異邦人」として過ごした。ピカソに先立つこと2年前、1971年にはシャネルも世を去る。彼女が息を引き取ったのは、生涯の大半を過ごしたパリだった。そして、10年以上にわたって戦後のフランスを牽引してきたド・ゴールも1968年の5月革命で求心力を失い、1969年に大統領を辞任。その翌年、彼は永遠の眠りについた。ド・ゴールが晩年を過ごした土地には自由フランスのシンボルである巨大なロレーヌ十字が建てられ、その功績を称えている。

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現在のフランス国民のうち、三分の一は移民にルーツを持っているとされている。2015年に巻き起こったイスラム系フランス人による同時多発テロを契機に、フランス国内ではイスラム系住民の排斥運動が巻き起こったが、共和国広場に現れた一人の男性がその潮流を変えた。「私は貴方を信じています。あなたも私を信じてくれるなら抱きしめて」という看板を掲げたイスラム教徒の男性を、パリ市民たちは代わる代わる抱きしめたのである。「たゆたえども沈まず」……パリは、パリのままだった。

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パリ(フランス)レピュブリック広場

「パリには、あらゆる出身の、あらゆる意見を持つ人たちが集まっている。友愛の隊列を組んでともに進めば、どれほどの値打ちを発揮するか、私たちは知っている。祖国の中で、自由に強く愛に満ちた幸福な人生を送ることを夢見ない若者は、ここフランスには1人もいないということを、私たちは知っている」(シャルル・ド・ゴール、1944年9月12日の演説より)。

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(エンディング)
エンディング

エンディング映像。

次回予告

映像の世紀 バタフライエフェクトの次回予告。

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