TVでた蔵トップ>> キーワード

「第一次世界大戦」 のテレビ露出情報

19世紀末、既に芸術の都として揺るぎない地位を誇っていたパリ。街の中心には1889年に建てられたエッフェル塔が聳え、通りには着飾った姿の貴婦人たちが歩く。「ベル・エポック」、美しき時代と呼ばれたこの頃、若き画家がスペインからパリにやってきた。当時19歳のパブロ・ピカソである。伝統と革新が共存するパリに夢中になったピカソは、この地でスケッチに明け暮れる日々を過ごした。同じ頃、フランスの田舎町で孤児として育った少女、ココ・シャネルもパリを訪れた。孤児院で学んだ裁縫を活かしてお針子になった彼女は、1910年に27歳で独立。大きな野望と反骨精神を胸に秘めたシャネルは、このパリで才能を開花させていくことになる。
第一次世界大戦の戦火がパリを襲った1916年。フランス北部のヴェルダンでは25歳の若き陸軍大尉、シャルル・ド・ゴールが部隊の指揮を取っていた。この戦いで負傷し、ドイツ軍の捕虜となった彼は強固な愛国心と不屈の精神で収容所生活を耐え抜く。第一次世界大戦は協商国の勝利によって終結したが、フランスは150万人に及ぶ戦死者という重すぎる代償を背負うことになる。
戦火の去った1920年代、パリは「狂騒の時代」を迎える。戦後の復興を支えた外国人労働者や東欧で迫害されたユダヤ人達が流れ込んできたパリには多様な人種が溢れ、黒人差別の激しいアメリカからパリを目指す者も現れた。そのうちの1人、ダンサーのジョセフィン・ベーカーは「黒いビーナス」と呼ばれ人気者となる。輝きを放つパリは世界の芸術家たちをも引き付け、モイズ・キスリングやマヌエル・オルティス・デ・ザラテといった若き画家たちもパリに集った。華々しい時代の中、ピカソは物体の様々な面を纏める表現技法「キュビズム」を生み出す。この表現技法は同じくパリで活動していたシャネルにも大きな影響を与えた。シャネルは1921年に幾何学的な形に収めた香水「シャネルNo.5」を発表し、爆発的な大ヒットを記録。ファッションにおいてもスポーティで動きやすい女性服を産み出し、戦争によって家庭から解放された女性たちに新たな美を与えていった。しかし、こうした「狂騒の時代」は1929年の大恐慌によって終わりを迎える。
1939年9月1日、ドイツがポーランドへ侵攻すると、ポーランドと同盟を結んでいたフランスはイギリスと共にドイツへ宣戦を布告。第二次世界大戦が勃発した。1940年の5月にはドイツ軍がフランスへと進軍を開始し、瞬く間にパリへと入城。フランス政府はパリを守るため、パリの無防備都市を宣言して事実上の降伏を選択した。パリはドイツ軍の占領下に置かれ、6月23日にはヒトラーが来訪。予てから憧れていたパリを目にしたヒトラーは、こう呟いたという。「パリを見るのが私の夢だった。それが今日叶えられてどんなに嬉しいか、言葉では表現できないよ」。
ドイツ占領下のパリではドイツ兵たちが挙ってシャネルの香水を買い求め、ルーブル美術館に残されていたレプリカの美術品を眺めては悦に入った。そうした姿とは対照的に、フランス人達は労働者としてドイツの軍需工場で働くことを余儀なくされた。パリでは物資が配給制となり、深刻な食糧不足に見舞われる。自動車での移動も許可制になり、人々は自転車や荷車で移動した。そして、フランスに逃れていたユダヤ人たちもドイツ軍とフランス警察によって狩り出され、強制収容所へと送られていった。
そんな中、海を超えたロンドンでは1人の男が占領下のパリ市民に徹底抗戦を呼びかけていた。イギリスに亡命していた無名の軍人、シャルル・ド・ゴールである。しかし、占領下で厳しい生活を続けていたパリ市民にその言葉を聞く余裕などなく、ド・ゴールの言葉は虚しく響くだけだった。亡命してもなおドイツと戦う道を選んだ彼とは対照的に、ドイツに協力する道を選んだのがココ・シャネルである。会社の経営権をユダヤ人経営者の手から取り戻すため、シャネルはドイツ軍の諜報員として彼らの占領に加担した。そして、パブロ・ピカソは「退廃芸術家」の烙印を押され、ドイツ軍による監視を受けながらもパリで制作を続ける道を選んだ。
ドイツ軍による占領が長引くと、パリ市民の意識は徐々に変わっていく。シャルル・ド・ゴールはドイツ軍への抵抗組織「自由フランス」を結成し、連合国と協力してフランス国内のレジスタンス活動を支援した。パリでは自由フランスのシンボルであるロレーヌ十字が街の至るところに描かれるようになり、ジョセフィン・ベーカーも自由フランスの広報活動に協力。自由フランスに協力するパリ市民が増える中、連合軍は1944年6月にノルマンディー上陸作戦を成功させる。これに勇気付けられたパリ市民たちは市内にバリケードを築き、銃を手にして立ち上がった。「我が国は命がけの危険を冒してでも、高い目標を掲げて堂々と立ち向かわなければならない。フランスがフランスであるのは、国家として第一級の地位を占めているときだけである。フランスは、偉大さなくしてはフランスたりえないのである」。そう語るド・ゴールの言葉に裏打ちされるような市街戦の後、1944年8月25日にドイツ軍は降伏。パリは4年ぶりに解放され、凱旋したド・ゴールは英雄として称えられた。
パリ解放の熱狂に酔いしれる市民たちは、抑圧されていた憎悪を同じパリ市民たちへと向けていく。街ではドイツ軍への協力者たちに対するリンチが横行し、ドイツ兵と親しくしていた女性は頭を丸刈りにして晒し者にされた。ドイツ軍の協力者であったココ・シャネルもスイスへの亡命を余儀なくされ、慣れ親しんだパリを後にした。
戦後、復興に向けて邁進するフランスは臨時政府議長にシャルル・ド・ゴールを任命。国の舵取りを任されたド・ゴールは植民地からの大規模な移民受け入れを決め、彼らの労働力によりフランスの復興は加速。再びパリが輝きを取り戻す中、1954年にはココ・シャネルが復帰を発表。再びパリの地を踏んだ彼女は、イヴ・サン=ローランやクリスチャン・ディオールが相次いで発表していた懐古主義的なファッションを真っ向から否定する新作を発表。変わらず血気盛んなモードの女王としての姿勢を見せつけた。そして、ナチスの監視と占領下での生活を耐え抜いたパブロ・ピカソは名声をさらに確かなものとし、フランス政府からレジオンドヌール勲章とフランス国籍授与の申し出を受ける。しかし、彼はこれを拒否して1973年に亡くなるまで「永遠の異邦人」として過ごした。ピカソに先立つこと2年前、1971年にはシャネルも世を去る。彼女が息を引き取ったのは、生涯の大半を過ごしたパリだった。そして、10年以上にわたって戦後のフランスを牽引してきたド・ゴールも1968年の5月革命で求心力を失い、1969年に大統領を辞任。その翌年、彼は永遠の眠りについた。ド・ゴールが晩年を過ごした土地には自由フランスのシンボルである巨大なロレーヌ十字が建てられ、その功績を称えている。
現在のフランス国民のうち、三分の一は移民にルーツを持っているとされている。2015年に巻き起こったイスラム系フランス人による同時多発テロを契機に、フランス国内ではイスラム系住民の排斥運動が巻き起こったが、共和国広場に現れた一人の男性がその潮流を変えた。「私は貴方を信じています。あなたも私を信じてくれるなら抱きしめて」という看板を掲げたイスラム教徒の男性を、パリ市民たちは代わる代わる抱きしめたのである。「たゆたえども沈まず」……パリは、パリのままだった。
「パリには、あらゆる出身の、あらゆる意見を持つ人たちが集まっている。友愛の隊列を組んでともに進めば、どれほどの値打ちを発揮するか、私たちは知っている。祖国の中で、自由に強く愛に満ちた幸福な人生を送ることを夢見ない若者は、ここフランスには1人もいないということを、私たちは知っている」(シャルル・ド・ゴール、1944年9月12日の演説より)。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年9月18日放送 10:05 - 10:55 NHK総合
キャッチ!世界のトップニュースワールドEYES
スバールバル諸島の中心地とロシア人居住地を取材。スバールバルの中心地ロングイェールビーンには2500人程が住んでいる。当初は炭鉱の町として栄え、今は新たな注目を集めている。この島でノルウェー人とロシア人は数十年にわたって隣人として暮らしてきた。しかし、市長はロシアによるウクライナ侵攻で町が、バラバラになってしまったという。ロシア人居住地のピラミデンはまるでゴ[…続きを読む]

2024年8月25日放送 0:25 - 0:55 テレビ東京
FOOT × BRAIN出張FOOT×BRAIN in 広島
まずクラブの歴史などが学べる広島サッカーミュージアムを訪れた。この施設はクラブの歴史のみならず、実際にサッカーをすることもできる。広島に初めてサッカーが伝わったのが1888年で、東京に駐留していた外国人海兵がサッカーを伝えたのが始まり。広島では第一次大戦時にドイツ人捕虜を収容する施設があり、この捕虜たちが作ったチームと地元広島の学生らが作ったチームが対戦した[…続きを読む]

2024年8月22日放送 13:05 - 13:55 NHK総合
BSスペシャルDigital Eye 新発見続々! 考古学×可視化テクノロジー
ウェブを通じて、どこから誰でも遺跡調査に参加できるのが、市民参加型のプラットフォーム「Deep Time」。参加者のミッションは地形図から過去の痕跡を探すこと。これまで2000以上の考古学的な特徴が一般市民によって発見された。参加者は「PASTRONAUT」と呼ばれる。PASTRONAUTは「過去」と「宇宙飛行士」の単語を組み合わせたもの。PASTRONAU[…続きを読む]

2024年7月22日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(映像の世紀バタフライエフェクト)
近代オリンピックの創立者であるピエール・ド・クーベルタンはスポーツを通じて平和な世界を実現できると考えていたという。そんあクーベルタンがオリンピックについて語った肉声が流れた。古代のオリンピックは戦争をしていても大会中は休戦するという決まりがあった。そのためオリンピックが平和の祭典になることをクーベルタンは願っていたという。ただ第一次世界大戦によってクーベル[…続きを読む]

2024年6月27日放送 15:45 - 19:00 フジテレビ
イット!(ニュース)
天皇皇后両陛下は、日本時間22日、約15時間のフライトを経てイギリスに到着された。雅子さまは、ご病気の療養中で、大きな行事の後には、お疲れが残りやすいという。宮内庁が公式SNSで公開した映像には、両陛下が司祭と会話する様子や、イギリス王室のコレクションをご覧になるお二人の様子などが映っていた。訪問4日目には、初めてお2人で公式行事に臨まれた。ウェストミンスタ[…続きを読む]

© 2009-2024 WireAction, Inc. All Rights Reserved.