- 出演者
- 池上彰 常盤貴子
オープニング映像。
今回取り上げるのは1971年放送の「新日本紀行 波濤の太鼓~奥能登・外浦~」だという。そして今回のゲストは俳優の常盤貴子だと紹介した。
- キーワード
- 新日本紀行 波濤の太鼓~奥能登・外浦~
1971年放送の「新日本紀行 波濤の太鼓~奥能登・外浦~」を放送。石川県の輪島市の農家では稲の葉先で目が見えなくなった神様を家に迎える。迎えられた神様は家族の手厚いもてなしを受けるという。田の神迎えは土地に執着する奥能登の暮らしから生まれた。
輪島市は典型的な出稼ぎの街で、田谷一夫さんは出稼ぎに出ていた両親をこの日駅で迎えた。そして市街地から離れた家に久しぶりに帰ってきた。300年続く輪島の朝市には近くの浜や山から女達がやってくる。店に並べられるものは女達が自分たちの手で収穫したものばかりで、店を出す場所は親子代々同じ場所。この市に出るようになって女は一家の財布を預かることになる。
輪島塗は室町時代から長い伝統を誇る。輪島塗は600軒で年間450億円の生産をあげている。輪島の漆器には能登人の辛抱強さが塗り込まれている。冬の外浦には厳しい季節風は流れ込んでくる。この地域では上杉謙信の能登侵攻の際に面を被って太鼓を打ち鳴らしたことから、当時の太鼓が現在まで伝えられている。
1月4日に田谷一夫さんが年季明けの日を迎えた。この日は大勢の塗師がお祝いに訪れたという。田谷一夫さんは両親と一緒に暮らしたいという思いから塗師の道を選んだという。最後に奥能登の人たちによる御陣乗太鼓が披露された。
スタジオではVTRを見た常盤貴子が「能登の美しさをたくさん見ることができた。また輪島の朝市がまた復活してほしい」と感想を語った。また御陣乗太鼓のふるさとである輪島市名舟町の被災後の様子が伝えられた。正月に太鼓の打ち初めをしていた神社の拝殿は倒壊している。またVTRで太鼓を鳴らしていた江尻浩幸さんと北岡周治さんに中継で話を聞いた。2人は現在も太鼓を打っており、能登半島地震が遭っても太鼓と面は避難させることができたという。また御陣乗太鼓についてはなかなか集まるのが難しい中で、日にちを決めて集まって太鼓を打っていると語った。
江尻浩幸さんと北岡周治さんは元気にまだまだ御陣乗太鼓をやっていくという決意を語った。常盤貴子は能登半島地震で能登半島が被害を受けている中で、「今こそ御陣乗太鼓が必要とされる時代になったのではないか」と語った。最後に御陣乗太鼓保存会のメンバーは避難先でも太鼓をたたき続けていると伝えた。
番組の次回予告。