- 出演者
- 渡邊佐和子 佐藤二朗 松長潤慶
オープニング映像が流れた。
生誕1250年を記念して特別展が開催されるなど、改めて空海に注目が集まっている。空海は31歳の時、唐に留学し、密教を学んだ。44歳の時、高野山を開いた。平安時代、上皇が空海を称賛する言葉が遺されている。
総本山金剛峯寺の奥之院では空海が今も祈りを捧げているとされ、参道には織田信長、豊臣秀吉といった著名な人物たちの墓がある。空海は生きながらにして仏になることができる「即身成仏」を説いたことで知られる。当時、都では天然痘などの疫病が蔓延し、飢饉も発生。それにもかかわらず、仏教は市井の人々に手を差し伸べることはほぼなく、主な役割は国家安泰を祈願し、天皇を守ることだった。そんな時に即身成仏を説き、現在の香川・まんのう町で堤防が決壊すると空海は改修工事を指揮した。中国での留学中に培った土木技術を発揮し、水の力を分散させるアーチ型の堤防は現代でも認められている。817年、高野山が開かれ、今も多くの僧が空海の教えを受け継いでいる。
平安時代の僧侶の役割に仏教の研究があり、民衆と接する機会はなかったという。そんななか、空海は天皇から支持され、密教を広めることに尽力した。京都には綜芸種智院という学校を創設。日本で最初となる民衆のための学校とされ、授業料はタダ。ただ、中国から持ち帰った密教の書物は400を超え、松長潤慶氏は「内容の理解だけで10年以上はかかる」と話す。
インドネシア・ジャカルタにある博物館には密教寺院の遺跡から発掘された仏像が所蔵され、修復作業が行われている。松長潤慶氏によると、密教の世界観を人々に伝えるためのものだといい、経典の解読から仏像の配置を復元した。中心には密教の本尊である大日如来が鎮座し、周囲には仏たちが放射状に配置される。ボロブドゥール寺院を俯瞰すると、仏塔が放射状に配置されているなど、寺院自体が密教の世界観を表現している。
胎蔵曼荼羅にも中央に大日如来が描かれ、仏たちが放射状に配置されている。絵図なので持ち運びが可能で、より多くの人々に密教の教えを広めるのに役立ったとされる。胎蔵曼荼羅と対を成すのが金剛界曼荼羅。9つのマスが即身成仏、大日如来となるための具体的な道程を示していて、まずは我欲を捨て去ること。また、自分本位だけでなく、利他の精神も育むよう促している。
空海曰く、仏の境地に至ると、世界の見え方が変わるという。松長潤慶氏によると、1人の人間は他者、動植物など森羅万象に支えられ、役立とうと行動することが即身成仏だという。ちなみに空海にまつわる伝説は日本各地に約3000も伝わっている
富山・上市町の護摩堂地区を訪ねた際、29歳の空海は老婆に水を所望した。老婆は持ってくるまでに時間を要し、水源が無いので遠くの谷まで汲みに行っていたと明かす。空海が地面に杖を突き立てると、たちまち水が湧き出たという伝説がある。29歳というのは唐に留学する前で、北陸にまで足を運んだとは考えにくいという。空海の教えに救いを求め、高野山の僧となった人々は高野聖と呼ばれた。彼らの活動が綴られた史料があり、日本各地を勧進して寄付を集め、先祖供養の五輪塔を高野山にまで持ち帰った。平安時代末期、高野山は落雷による火災で甚大な被害に見舞われ、再興のために資金が必要だったという。資金を募る過程で高野聖たちは空海がいかに尊いかを説き、各地の名物、名所などの由来に空海をかかわらせた物語をつくり、説法を行ったという。そして、各地に残る空海伝説になったと考えられる。
空海は高野山奥之院で今も永遠の祈りを続けているとされ、お堂に空いた穴から出入りしては全国各地をまわっているという伝説もある。佐藤二朗は飲み屋で仏のような慈悲に何度も遭遇していると明かした。
「歴史探偵」の次回予告。