2025年5月28日放送 22:00 - 22:45 NHK総合

歴史探偵
危機一髪 真田一族

出演者
佐藤二朗 片山千恵子 
(オープニング)
今回は...

今回は戦国を生き抜いた真田一族の秘密にスポットを当てる。

キーワード
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オープニング

オープニング映像が流れた。

(歴史探偵)
スタジオトーク

真田一族と言えば、堺雅人が大河ドラマ「真田丸」で演じた真田信繁、草刈正雄が好演した真田昌幸が挙げられる。本能寺の変の直前、真田の領土は上杉、織田、北条、徳川という巨大勢力に囲まれていた。

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危機一髪!真田一族

「武田二十四将図」には武田信玄を支えた24人の重臣が描かれていて、うち3人が真田一族だった。1582年3月11日、武田家が滅亡したが、残された書状から真田昌幸はすでに武田を見限り、北条につきたいと打診していた。北条に従属してから翌月には織田家へ鞍替えするも、本能寺の変が勃発。北条と徳川の争乱が起きると、真田家は徳川へ帰順する。昌幸は褒美として徳川から新たな領地も得ようとしていたという。昌幸は唐沢玄蕃ら多数の忍者を召し抱え、他国の情報を収集していた。1582年、真田軍と北条軍による戦が勃発。昌幸は忍者を使役した奇襲作戦を講じた。6倍の軍勢を相手に勝利し、北条領の城を獲得した。

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帰順を誓ったものの、大名が頼りないから従属先を変えるというのは戦国時代では日常茶飯事だった。真田昌幸の処世術について、豊臣秀吉は「煮ても焼いても食えない食わせ物」と褒誉したという。また、昌幸の長子である昌幸は城を守り抜く際に活躍した。

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危機一髪!真田一族

1585年、徳川と真田との間で第一次上田合戦が勃発。不利になった徳川軍が撤退すると、別働隊を率いる信之が奇襲を仕掛けた。川で溺死する兵士など、徳川軍1300人が命を落とした。1600年9月15日、関ヶ原の戦いが起きるが、数ヶ月前に西軍からの手紙が昌幸、東軍である徳川家康の手紙が信之のもとに届けられた。昌幸は東軍、西軍のどちらが勝利しても家が存続することを選び、長子の信之とは敵と味方に分かれたと周囲に喧伝するべく領地に火を放った。信之は家康と交渉し、東軍が勝利した暁には昌幸の領地を継承すると言質を取った。真田家は9万5000石の大名へ。

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関ヶ原の戦いで西軍についた真田昌幸、信繁は蟄居生活を余儀なくされた。なお、江戸時代に入っても真田家には油断できない状況が続き、父から継承した土地で自然災害が起きた。

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危機一髪!真田一族

浅間山の噴火で多数の参詣人が命を落とし、農作物に影響を及ぼした。真田信之は年貢を減らしたり、身売りした農民を買い戻すなど領内の民を守ることに腐心した。だが、干ばつと水害が多発。荒れ果てた領地を復興させるべく、信之は干ばつの対策としてため池を整備した。400年後の今も上田の地を潤している。4代将軍の家綱は真田信之を「武士の鑑」などと称賛した。信之は93歳まで生き、「国づくりとは領民を慈しむこと」といった言葉を残した。

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真田信之は蟄居生活を余儀なくされた真田昌幸、信繁の生活面も世話したといい、佐藤二朗は「いい長男」と絶賛した。さらに、真田家の重臣の家で代々受け継がれてきた赤塗りの木椀が用意され、歴史学者の平山優氏は「博物館のガラス越しでしか見たことがない」と語った。佐藤は真田家を描いた映画、ドラマなどの作品が現代の今でも支持されている理由を垣間見た気がしたという。

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(エンディング)
次回予告

「歴史探偵」の次回予告。

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