- 出演者
- 佐藤二朗 片山千恵子 河合敦
オープニング映像。
4月、吉野では約8kmにわたる尾根と谷を桜が染め上げる。一面に広がる桜の数は日本一を誇る。この桜と切っても切り離せないとされるのが役行者。自然のなかで山伏が厳しい修行の末、悟りを得る「修験道」の開祖で、天候を予測したり、豊作を祈願していた。五鬼助家は役行者の言いつけで修行をする山伏の世話役を務めた。役行者は吉野にある金峯山寺を創立したとされ、蔵王堂は国宝に指定されている。深奥部には高さ7mの秘仏、蔵王権現が鎮座する。役行者は吉野のヤマザクラを使い、蔵王権現を彫刻したという。ご利益にあやかろうと、人々は願いを込めた桜を吉野山に植樹していった。古今和歌集には吉野の桜の歌が収録され、雪と見紛うばかりに美しく、神々しいという意味だという。
豊臣秀吉が行った花見には約5000人が参加したといい、徳川家康や前田利家、伊達政宗らが同道した。秀吉は無礼講だと参加者をもてなし、最終日には蔵王堂の前で能を上演。古来より伝わる演目を演じるのが一般的だったが、「吉野詣」は秀吉がつくらせた新作だった。ただ、当時の記録は消失し、動きや衣装に関しては分かっていない。能楽師、金春穂高氏の先祖は秀吉に能をレクチャーしたという。今回、残っている史料に今の能のパターンに当てはめ、振り付けを考えてもらった。吉野詣の終盤、人々に崇敬されてきた蔵王権現が登場し、吉野の桜を秀吉役の子どもに渡す。蔵王権現に認められた存在、天下人だと秀吉は大名たちにアピールしたという。
豊臣秀吉は5000人が参加する花見を催すにあたって、新作の能「吉野詣」をつくらせていたが、蔵王権現も演じていた。上演された演目には宇喜多秀家、豊臣秀次など、豊臣家も出演。能は武士の嗜みで、深い教養の持ち主だと周囲に知らしめる効果もあったという。なお、秀吉は57歳の時に能の訓練を始め、1年2カ月後に蔵王権現を演じたのだった。
明治初頭、新政府は神仏分離令を発し、廃仏毀釈が激化。金峯山寺は一時、廃寺に追い込まれた。桜の木の管理が難しくなり、枯れてしまったという。すると、吉野で暮らしていた20人が組織を立ち上げ、管理を行うことにした。新たな植樹のため、資金集めに奔走。伐採を防ぐため、パトロールを強化した。昭和に入ると、伊勢湾台風が吉野を襲った。その後も自然災害が相次ぎ、桜に害虫や病気も蔓延した。桜に関する専門的な知識を持つスペシャリスト”桜守”の養成に着手する。現在、吉野の桜は外来種の昆虫によって被害を受けていて、3人の桜守たちが対策にあたっている。後世へ桜の歴史を繋げていきたいという。
佐藤二朗は吉野の桜の歴史、桜守たちの奮闘を知り、よりありがたみが増したという。2004年、吉野山は紀伊山地の霊場と参詣道の一部として世界遺産に登録された。
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- 紀伊山地の霊場と参詣道
「歴史探偵」の次回予告。
