- 出演者
- 若林正恭(オードリー) 弘中綾香
「日本一引退危機に直面している俳優」梅沢富美男が登場。昭和25年に梅沢劇団の五男として誕生した梅沢は天才子役として注目された。転機となったのは女形で、1日のお捻りが300万円を超える日もあった。1982年「夢芝居」は50万枚に迫る大ヒットで紅白にも出場した。バラエティ界にも進出し、ブチギレが代名詞となった。
梅沢は1歳4か月で初舞台を踏んだ。義務教育を受けてほしいという父の方針で6歳で両親と離れて福島にある祖父母の家に預けられたが、劇団の経営危機で仕送りが激減し生活が苦しくなった。梅沢は小3にして新聞配達や鉄くず集めなど4つのバイトを掛け持ちした。台風で流された家畜を持ち主に返すバイトもしていた。
梅沢は良くないバイトに手を染めたことが人生が変わるキッカケになった。ある時地元の先輩に言われて畑からスイカをとってくると主に見つかってボコボコにされた。主から1箇所からじゃなくていろんなところからバランスよく盗めと言われ、貧乏を不憫に思い怒りながらもアドバイスをくれた主に梅沢は人情を学んだと話した。梅沢はプロ野球選手を夢見ていたが東京で俳優をしていた兄からハンバーグを食べさせてやるから来いと言われた。ハンバーグを食べ終えて兄の劇団の芝居を見に行ったところ、役者の一人が腹痛で降板。兄から代役に指名された梅沢は舞台に立ち、福島弁のセリフが客に大ウケ。野球や進学への思いが吹き飛び、役者の道に戻った。8年間ほど売れず、梅沢は劇団から逃亡し松戸でバーテンダーとして潜伏した。
「池上彰のニュースそうだったのか!!」の番組宣伝。
梅沢はバーテンダーとして毎晩客相手に持ち前のトークを爆発させ、松戸のバーに「喋りの鬼がいる」と話題になった。噂を聞きつけた劇団員が来店し芸能界に復活。ある地方の村での公演中、客席に美女を見つけた梅沢はデートに誘った。壁ドンをしたところ肥溜めに入ってしまい、それを聞いた女性の父親が猟銃を持って梅沢の宿泊先に乗り込んできた。梅沢は全力で謝ったという。
- キーワード
- 松戸(千葉)
役者として売れず引退を覚悟していた梅沢は石ノ森章太郎に相談した。梅沢の母と石ノ森の義母が友達で定期的に舞台を見に来ていたという。梅沢は「売れねぇ役者に壁があるか」「お前は必ず売れるから頑張れ」と言われ、さらに相舞踊を踊るようアドバイスされたのがキッカケで女形が誕生した。女形が人気になり勢いにのった梅沢は「夢芝居」で歌手デビュー。母にビル1棟をプレゼントし、自身も7億円の夢芝居御殿を建設した。
梅沢は初ドッキリ番組で大ブチギレ。飲みに行って隣の席の女性が不良に絡まれたら女性をどう助けるかというドッキリで、梅沢は「ボコボコにしてやった」と話した。男気があると制作陣に好評だった。また大河ドラマの現場では、セリフの順番が変わったことを知らされずに撮影が始まり「先に言え」「さっさと役を殺せ」と大ブチギレ。次の台本で殺されていたと話した。また生放送中カンペで「とみざわふみお」と書かれており大ブチギレ。視聴者に大ウケで、キレ芸ブームが到来した。
10年前の大ブレイク時、梅沢には10億円の借金があった。兄が騙されて知人の借金を肩代わり。弁護士には兄の破産宣告を勧められたが、梅沢は「俺が払います」と返済のために働いた。コメンテーターの仕事やバラエティにも積極的に出演して大ブレイク。借金を9年で完済した。若林は「ズバッといかれた人」とラベリングした。
「大ピンチになるたびやりすぎなくらい大胆にハンドルを切って生き抜いてきた人」小林幸子が登場した。昭和39年に10歳で歌手デビュー。「おもいで酒」が200万枚の大ヒット。バラエティやドラマでも活躍した。紅白歌合戦での巨大衣装は小林の代名詞となった。
モノマネ歌番組でチャンピオンを獲得した小林は事務所にスカウトされたが、父は賛成、母は大反対だった。自身で歌手になると決め、9歳で単身上京した。昭和39年に10歳でCDデビューし、20万枚の大ヒットとなったが2枚目以降は売れなかった。小林は子どもの頃から大人の旬を追う感じがわかり、仕事をもらえるように良い顔をするようになってしまうと話した。さらに新潟地震で実家の精肉店が閉店し、家族が上京してきた。
一家を背負った15歳の小林は、家計を稼ぐため日払いのドサ回りをした。下積み15年間でシングル27枚をリリースした。小林は16歳頃は色っぽい歌が流行っていたがその感じが出せず、20歳になって色っぽい歌を歌ったらアグネス・チャンとか百恵ちゃんが出てきたと話した。昭和54年、25歳の時に出した28枚目のシングルのB面「おもいで酒」が200万枚の大ヒット。この曲が日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞し、ザ・ベストテン年間1位となった。紅白にも初出場した。
紅白歌合戦での巨大衣装の発端は緊張だった。もっと魅せたい小林は市川猿之助に教えを請い、衣装がさらに巨大化していった。大掛かりになった結果、小林は頚椎を損傷した。その後事務所内トラブルからレコード会社との契約が解除され、新曲リリースが無期限延期となった。
小林は小林幸子潰しがマスコミに書かれて誰も曲を作ってくれなくなった、さだまさしに相談したら曲を書いてくれたと話した。紅白にも落選したが、ニコニコ動画から生放送出演のオファーがあった。「ラスボス」というコメントが話題となり、その後歌ってみた動画も投稿。総合ランキング1位となり1日で61万回再生を突破した。コミックマーケットにも進出し「さちさちにしてあげる♪」を一般サークルに混じって販売。会場の外にまで続く行列ができ、1500枚は2時間半で完売した。