- 出演者
- 富澤たけし(サンドウィッチマン) 伊達みきお(サンドウィッチマン)
オープニング映像。アマチュア自作カレーの頂上決戦。
今回のアマチュアはスパイスの究極の配合にたどり着いたという。
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- クミン
日本全国からアマチュアを対象に出場者を募集したところ、106人がエントリーした。書類審査、準決勝、決勝を行い勝ち抜いたものが自作カレーの頂点に立つ。審査員を務めるのはインド料理展総料理長・稲田俊輔、スパイス料理研究家・有澤まりこ。審査基準はレシピ、見た目、オリジナリティ。厳しい審査を経て5人が準決勝に進出した。
準決勝のテーマは「最も自信のあるカレー」。道産子カレーキング・梅田玄貴は札幌のアプリ会社で働く傍ら、月イチで開く間借りカレーの味が大評判。アマチュアにもかかわらずイベントにも呼ばれ、プロを差し置いて売り上げ1位になったほどの実力者。梅田の武器は北海道の恵み。梅田は「北海道のぷりぷりアンコウと生海苔のスパイスカレー~5種の野菜を添えて~」を作った。
スパイスドクター・松尾洋子の本職は眼科クリニックの院長。半年に1度インドに飛び、本場のカレーを勉強する。勝負の品はココナッツミルクをベースに10種類のスパイスを使うインド仕込みのカレー。かつおの煮汁を煮詰めた「せんじ」を使い、和印折衷がテーマ。松尾は「日本とインドをつなぐ絶品カレー」を作った。
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- インド日本とインドをつなぐ絶品カレー
スパイス哲学者・豊福太朗は専門学校の哲学講師。新大久保に足繁く通い、まだ見ぬスパイスを探し続ける。豊福の最大の武器はプロも驚く珍しいスパイス。扱うのが難しいスパイスで試行錯誤すること72回、究極の配合を導き出した。豊福は「3種のカレーとジーラライスの新大久保セット」を作った。
愛妻スパイスコレクター・前田洋平は保険代理店の会社員。キッチンには50種類以上のスパイスコレクションが。時差印作は王道のチキンカレー。しかし、スパイスの種類は29種類。
京大カレー部の藤田昂太郎は理論を駆使してカレーを作り、仲間たちを虜にしている。その一方、カレーの沼にハマり留年の危機。藤田の持ち味は自由な発想。カレーには珍しいスパイスを使う。藤田は「強味!牛テールと魚介汁カレー~5つの味のマリアージュ~」を作った。
準決勝1位通過は豊福。2位通過は前田。3位通過は松尾。決勝のテーマは「究極の夏野菜カレー」。決勝は1か月後。
決勝戦の審査をするのはフレンチの巨匠・谷昇、伝説の家政婦・タサン志麻。準決勝に引き続きカレーのスペシャル人も審査。制限時間は90分、事前に準備した副菜など持ち込みOK。1人前の食材費を1000円以内とした。
前田は姫路市で夏野菜カレーに合う未知のスパイスを探し求めていた。行きつけのインド食材店で希少なスパイスを入手した1g単位で調整しながら最適の配合を探した。前だがカレー作りを始めたのは2年前、体調を崩した妻がスパイスのカレーを食べたいと言ったことがきっかけだった。決勝では31種類のスパイスを駆使し神配合を完成させた。
松尾は自宅からカレーリーフを鉢ごと持ってきた。自宅のキッチンには本場インドのグッズが並ぶ。子どもの弁当箱もインド製だ。今回、松尾が選んだ夏野菜はきゅうり。きゅうりのカレーはインドでは一般的。松尾は元陸上自衛隊の医官で、訓練に耐えながら医学の勉強をした。不屈の精神を培った松尾が3位からの巻き返しを図る。きゅうりを3秒素揚げすることで食感がよくなった。
豊福が作るのは野菜だけで作る3種類のカレー。豊福は多いときで1日20時間カレーに向き合う。自作を始めて6年、オリジナルレシピは50を超えた。若い頃、豊福は哲学者を目指していた。哲学の教授だった父親の影響だった。しかし、評価されるのが怖く論文を書けず37歳で夢を諦めた。不動産管理の仕事を続けること7年、体調を崩し退職せざるを得なくなった。そん中、カレー作りに手を出しカレーに懸けてみたいいと思うようになった。自作を始めて6年が経つが、家族以外に食べさせたのはわずか4回。55歳になった今、自分が評価される場に身をさらしてみようと決意した。
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- 所沢市(埼玉)
松尾はフードドライヤーでパプリカパウダーを自作した。日本人が家でカレーを作るようになったきっかけは固形ルーの誕生。誰でも手軽に作れるようになり、一気に国民食になった。そしてスパイシーなインドカレーがより身近になったのは2000年代以降。インドなどの食材店が増加、家庭でもスパイスを使ったカレーに挑戦できるよになった。自作カレーの世界は今も広がり続けている。
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- 飛騨市(岐阜)
決勝3週間前、前田はカレーの具材に悩んでいた。姫路の食材を探しに出た前田が頼ったのは地元の自治会長。近所の人が大事に育てた夏野菜をおすそ分けしてもらった。さらに妻鹿漁港で小太エビを手に入れた。エビをだんごにして揚げた。
豊福はインドの家庭の味「サンバル」をより特別なものにするための秘策があった。決勝10日前、広島でミニトマトを手に入れた。豊福は95歳になる母と2人で暮らしていて、自分で介護をするために健康的な食事に力を入れていた。野菜が嫌いな母は広島の親戚が送ってきたミニトマトを味噌汁に入れたら食べてくれたという。このミニトマトは甘みとうまみを極限まで高めようとしたミニトマトだ。
松尾はパニプリ(インドのおやつ)に出会って衝動的にインドへ向かった。目にとまったユニークな料理と人々の笑顔に魅了された。それまで松尾は自分を抑え込んで生きてきたが、もっと自由に楽しもうと思った。自分を変えてくれたインドの魅力を日本人に知ってほしい、それが和印折衷にこだわる理由だ。
松尾は「インド愛あふれる夏野菜カレープレート」、前田は「姫路まるごと夏カレー」、豊福は「3種のベジカレー夏野菜セット」を完成させた。審査の結果、頂点に立ったのは松尾洋子。