- 出演者
- 石原良純 小泉孝太郎
富山きときと空港の愛称で13年間親しまれてきた富山空港は今年7月から富山高山すし空港に変更となった。看板は年内に架け替え工事予定。富山空港は日本で唯一河川敷の中にある空港。ボーディングブリッジは滑走路横の堤防をまたぐため最長89m。
良純孝太郎は通称ブリ街道の起点を訪れた。通称ブリ街道は歩荷が海の幸などを背負い雨の日も雪の日も何日もかけて運び続けた。
良純孝太郎がブリ街道を大冒険。高山本線は1934年開通の富山と岐阜をつなぐ鉄道。坂田金時は日本各地に伝説が残り、富山市薄波にも一時期暮らしていたという説がある。神通峡は川が岩を削って生み出した約15kmにわたる峡谷。江戸時代、橋がなかったためブリを運ぶ人々が使ったのはツルでできたカゴ。
江戸時代、川を渡る橋がなく代わりにカゴに乗り命がけで渡ったカゴ渡り。猪谷関所館では当時の様子をVRで体験できる。孝太郎がカゴりをVRで体験した。当時男性は60kg、女性は45kgの荷物を背負いブリを運んでいたという。
神岡鉄道はかつて存在した全長19.9kmの路線で鉱山で生産された硫酸の輸送や通勤通学で活躍。2006年に全線廃止となり現在は廃線を使ったアクティビティになっている。
良純孝太郎は神岡鉄道の廃線を利用したアクティビティを体験。渓谷コースは旧漆山駅から二ツ屋トンネルまで片道約3.3km、往復1時間ほどの道のり。コース近くの神岡鉱山跡地は宇宙からの素粒子を観測するスーパーカミオカンデとして現在も活用される。
一行は岐阜・高山を散策。高山陣屋は幕府が飛騨を直接支配するため置いた全国で唯一主要建物が現存する代官・群代所。飛騨高山の名物さるぼぼは猿の赤ん坊を意味するお守り人形。
良純孝太郎はみたらし団子と五平餅を堪能した。飛騨高山のみたらし団子は甘くない香ばしい醤油ダレが特徴。五平餅はご飯をつぶして甘辛いタレを塗った郷土料理。多くの外国人で賑わう高山。外国人観光客にとって全国の名所をつなぐアクセス抜群な観光地として人気。名古屋から飛騨高山・白川郷・北陸を結ぶサムライ・ルートが特に人気。世界で最も居心地の良い都市10選に日本で唯一選出された。こうした海外人気を受けて富山高山すし空港も名称に高山を入れて海外旅行客を呼び込む狙いもある。
一行は高山を散策し家具屋を訪れた。
一行は家具屋を訪れた。飛騨の曲木は木材を蒸して柔らかくし曲線に加工する伝統技術。飛騨高山の職人が腕がいいと評判で釘や金具を使わない木組みや細かな模様を彫る彫刻など卓越した技術が高く評価されている。
地元豪商の歴史的邸宅・日下部家を訪れた。吹き抜けの天井は贅沢を尽くした象徴だという。飛騨高山の優れた職人の技術はこの地方の財政を大きく支えていた。奈良時代、特産品が少なかった飛騨地方は朝廷で重宝された職人を都へ派遣することで納税を免除。免税が認められたのは全国で飛騨高山だけだったという。職人たちは飛騨の匠と呼ばれ国家事業に大きく貢献した。
狭い土地で特産物が少ない高山のもう1つの名物は富山から運ばれてきたブリ。1665年、越中の魚屋から奉納された絵馬は360年以上前から取引があったことを伝える貴重な資料。富山湾から運ばれたブリは川上肴問屋の元へ集められた。独占したブリを信州へと販路を広げたことで飛騨ブリはブランド化に成功。川上肴問屋はブリを独占する代わりに飛騨高山から信州への橋を架けるなど自らお金を出しインフラを整備。インフラを整え販路を拡大することでさらなるブランド化に成功した。
地元の人たちが特別な日に味わうブリ料理があるとのことでやって来たのは明治38年創業「沖村家 みちや寿し」。塩ブリの前に「自家製ホタルイカの沖漬け」に舌鼓を打った。
良純孝太郎が「塩ブリ」を試食し「皮がまた美味しい」などとコメントした。他にも「ヒラメの昆布締め」に舌鼓を打った。
