- 出演者
- 石原良純 小泉孝太郎 岩田絵里奈
徳川15代、約260年に渡って一度も侵入を許さなかった江戸城内堀の門を巡り鉄壁の防御の秘密を探る。
清水門は江戸時代の遺構が現存し国の重要文化財にも指定されている。枡形門は敵が入ってきた門を閉じ三方向から攻撃できる防御システム。堀だけの枡形門は鉄砲隊の自由が効き強力な防御に。枡形門を突破しても先に行くにはUターンしなくてはいけない。その先にある雁木坂は不揃いの石段になっている。北の丸は陸地で敵から攻められやすい北側にあったため厳重な防御が必要と考えられていた。家康の側室が引退後に北の丸に屋敷を構えた。
九段坂の地名の由来は地形にある。1907年に路面電車が開業し急勾配でのぼるのが困難だったため線路は緩やかな坂に。その後関東大震災の復興事業の一環で現在のなだらかな坂に改修。江戸時代、葛飾北斎が描いた九段坂は急坂になっている。
オープニング映像。
時計の部品を卸す会社を経営する伊藤光代さんの幸福時間は果物狩り。娘夫婦や孫、社員たちと一緒に季節ごとに果物園を訪ねる。32年前、長女が3歳になった時にイチゴ狩りに行くと思っていた以上に楽しくて社員も連れて行くようになった。孫たちにも自分の手で採る体験をさせたいと思っている。
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田安門は江戸城の中で最も古い門で1636年に修繕。清水門と同じく枡形になっているが強固な守りの秘密はその地形にも。崖と水堀に囲まれており田安門に行くには急勾配の坂を登らなくてはいけない。門にたどりつ前に体力を消耗させる防御システムに。江戸時代に描かれた景観図では田安門がある高台から日本橋や浅草など江戸の街が見渡せたことが伺える。
千鳥ヶ淵は江戸時代はダム湖だった。江戸城の周りの多くが海で飲み水の入手が困難だった。そこで川をせき止め飲料水として使用できる溜池にした。淵は水瓶が由来。さらに江戸時代から水量調節機能があったという。田安門の土手には千鳥ヶ淵の水量が一定の高さを超えると牛ヶ淵側に流れ洪水を防ぐ仕組みになっていた。
半蔵門は服部半蔵とその配下の伊賀同心たちが警備を任されていたことに由来する。甲州街道は武蔵野台地の尾根に沿って作られているため真っ直ぐな道に。徳川将軍が攻め込まれた時に脱出口として素早く逃げられるよう裏門である半蔵門から甲州街道までを直線で繋げたとも言われている。江戸幕府の軍事・警備を担った大番組は半蔵門付近の番長に屋敷を構えていた。人によって強化された守備は半蔵門周辺だけでなく八王子まで守りを固めていた。
桜田門外の変は1860念江戸幕府の大老・井伊直弼が脱藩浪士らに暗殺された事件。大老の暗殺情報は掴んでいたが井伊直弼がお供の数を増やすことを拒否したという。また鳥取藩士・安達清一郎の日記によると死因はピストルで撃たれたこと。一方、桜田門の中に入れば最強の防御システムが備わっていた。桜田門は3面を堀に囲まれた全国唯一の枡形門。
桜田門の先にある二重橋は水面部分から橋の上まで約12mあり当時の技術ではこの高さを橋脚で支えることが不可能だった。そこで橋桁の下にさらに橋桁を組み強度を確保。二段構造に橋となり二重橋と呼ばれるようになった。
江戸城の正門・大手門は参勤交代で大名が登城する門。大名の江戸城登城は大規模な藩は100人近くで訪れるという。月に3回の大名登城は一般民衆も見学に訪れ屋台なども出店された。良純孝太郎は本丸を目指す前に江戸城を復元した模型がある江戸東京博物館で予習。
江戸時代の大名になったつもりで大手門から本丸を目指す。大きな藩の大名でも大手門に入れるのは家来6人のみ。大手門は明暦の大火で焼けその後再建された。石狭間は穴から矢や鉄砲を撃つための防御施設。武者隠しは敵を待ち伏せするために武士が身を潜める隠し場所。大手三之門で大名はかごから下ろされ同行する家来は4人以下に。百人番所は長さ50mを超える江戸城最大の検問所。鉄砲百人組が24時間体制で警護していた。江戸城最大級の門・中之門を取り囲む巨大石垣は瀬戸内海沿岸や紀伊半島の御影石を使用。
江戸城最大級の門・中之門をくぐり本丸へ。大番所は江戸城本丸への最後の番所。最後の検問で大名と3人の家来だけになる。江戸城は明暦の大火を含め4回以上の火災があった。文久年間の火災で本丸御殿が焼け石垣に飛び火した火災跡が残っている。いくつもの関門をくぐり抜けようやくたどり着いた本丸御殿は幕府の政庁と将軍の住居。敷地面積は約13万平方メートル。大きく3つのエリアに分かれていて表は儀式や政務を行う、中奥は将軍の執務室・住居、大奥は将軍の正室・側室などが暮らす。その先に江戸城天守がある。大広間では大名がようやく将軍に面会できるが謁見する際のルールは大名を頭を上げてはならない。
松の大廊下は忠臣蔵の発端となった場所。本丸御殿の大広間から続く全長約50m、幅約5mのL字型の廊下。多聞は防御と装飾を兼ねる長屋造りの武器庫。かつて本丸には15棟あったが現存は富士見多聞のみ。武器庫なのに鴨居と敷居がある珍しい多聞櫓になっている。中奥と大奥の境にある石室は火災から大奥の調度品や文書を守るための収蔵庫。
問題「徳川8代将軍・吉宗のために江戸城に招かれた意外なある生き物とは?」、正解は「アジアゾウ」。ベトナムから長崎経由で江戸城までゾウが約1400キロを歩いてやってきた。
男子禁制の大奥は男性で入ることが許されていたのは将軍や医者など極わずか。御鈴廊下は鈴を鳴らして将軍の到来を知らせて大奥へ向かう将軍専用の廊下。大奥は今では広大な芝生へと姿を変えている。最盛期の大奥には約2500人の女性が暮らしていた。大奥の女性たちが使用していた門は平川門。罪人や死人などを城外に出すための不浄門とも呼ばれ正門の大手門から遠ざけ人目につかないよう運び出されていた。
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2026年10月13日(19:00)
