- 出演者
- 福澤朗 今田耕司 片渕茜 江口ともみ 齊藤明雄
オープニング映像。
本日のゲストは元プロ野球選手・齊藤明雄さん。1955年い京都市で生まれ花園高校などを経て1976年11月、大洋ホエールズに指名され入団。先発投手として活躍し1977年8月30日にプロ初完封で新人王を獲得した。その後、抑えに転向しコントロールと緩急を活かした投球で最優秀防御率や最優秀救援投手などタイトルを獲得した。1988年にはプロ野球市場3人目となる100勝100セーブを達成した。ファンから「ヒゲの齊藤」と呼ばれ親しまれたが、チーム内のあだ名はローマ神話の酒の神「バッカス」で球界屈指の酒豪。1993年に引退しホエールズ・ベイスターズ一筋17年のプロ野球人生だった。現在は解説者として活躍している。
齊藤明雄さんの依頼品は「大谷翔平 プロ1年目のサインボール」。齊藤さんはさらに佐々木朗希投手からも入団1年目にサインをもらっているという。本人評価額は17万円。専門家は25万円と評価し「大谷翔平選手のサインボール直筆で間違いない」などと解説した。
依頼人は静岡市から別雷神社の宮司・苦竹泰任さん。別雷神社は273年の創建と伝わり、周辺の安部の市と呼ばれる市が立ち発展したことから守護神として信仰されるようになった。10年程前、ある農家の倉庫の片付けを手伝った際に一番奥で発見したものをタダで譲り受けた。依頼品は「三菱の三輪自動車 レオ」。
今ではほとんど見かけない三輪自動車。かつては日本中、当たり前のように走っていた。日本に三輪自動車が登場したのは大正時代。前2輪、後ろ1輪の自転車にアメリカ製の小型エンジンを取り付けたもの「フロントカー」とよばれた。しかし安定性に欠け前1輪、後ろ2輪の三輪車となった。やがて国産エンジンが登場し普及していった。ところが戦争が激しくなると軍用車の製造に重点が置かれ開発が中断。戦後、焼け野原の日本でいち早く復興に向け活躍したのは「三輪トラック」。GHQが乗用車の製造を制限したことや四輪車よりもコストがかからないことから盛んに作られるようになった。小回りが効き輸送力に優れた三輪トラックは爆発的ヒット。1950年代、バーハンドルが丸ハンドルとなり操作性が向上。フロントスクリーンや屋根、サイドドアも装備され居住性も良くなっていく。また大型車や消防車など特殊車両にもされた。1957年、ダイハツ・ミゼットが登場し空前のブームとなった。キャッチフレーズは街のヘリコプター。小型で運転しやすいことからバイクや自転車を利用していた個人商店など幅広い業種に受け入れられた。1959年、新三菱重工「レオ」が発売された。当時の販売価格は22万5000円。軽三輪自動車で初めて密閉式オールスチール製の二人乗り独立キャビンを採用。1960年代、量産が本格化した四輪車と生産コストに差がなくなり三輪自動車から撤退し、レオも1962年に製造が打ち切られ3年で姿を消した。
第19回 人形鑑定大会のオープニング。ゲストコメンテーターは人形が大好きで、ぬいぐるみと一緒の江口ともみ。
宅配弁当店を営む坂巻比奈子さん。10年前、インターネットの弁当注文サイトに掲載することになり特徴になるよう自身の似顔絵を印刷した包み紙を採用。お宝は「ミドヴァニィ人形 2点」。スイス在住の2人組アーティスト・BillyBoy* & Lalaが製作した。芸術性の高さから愛好家の垂涎の的となっている。さらに別売りの衣装セットも購入した。本人評価額は20万円。専門家は50万円と評価した。
続いて孫にメロメロな中田俊介さん。お宝は「下口宗美の木彫彩色人形」。37年前、自宅の新築祝いとして父からもらったモノ。本人評価額は20万円。専門家は40万円と評価した。
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- 下口宗美
続いて30年間、近所を掃除している小川正敏さん。お宝は「S・マックイーン等身大フィギュア」。映画「大脱走」でS・マックイーンが演じたアメリカ人航空兵のバージル・ヒルツを等身大で表現したフィギュア。さらに付属品の腕を付け替えれば映画の一場面を再現できる。本人評価額は100万円。
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- スティーブ・マックイーン大脱走
映画「大脱走」のS・マックイーンの等身大フィギュア、鑑定結果は100万円。作中のこだわりが詰まっている点が評価された。
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- スティーブ・マックイーン大脱走
続いてのお宝は30年前に父が買い集めたビスクドール5点。本人評価額は200万円。鑑定の結果、全てアンティークのビスクドールで評価額は445万円となった。中でもA.Tという工房のビスクドールは1体で300万円となった。
続いてはトレーニングと晩酌が趣味だというさいたま市の三原さんのお宝。10年ほど前から酒器にもこだわるようになったという三原さん自慢の一品である荒川豊蔵のぐい呑み。退職金をつぎ込んで80万円で購入したものだという。
陶芸家・荒川豊蔵は多治見市に生まれ、28歳で京都・東山窯の工場長に就任し作陶の道へ。33歳で北大路魯山人の誘いにより星岡窯の窯場主任となり、桃山時代の古陶磁復興を志して魯山人と研究に没頭する。1930年に名古屋で「竹の子文志野筒茶碗 歌銘 玉川」を手にしたことで志野焼が美濃で焼かれていたことを突き止める。その後は志野焼の再興を目指して美濃に移り住み、桃山時代と同じ半地下式穴窯で本格的な作陶を開始。現地で発見した陶片を研究し8年を費やして満足のいく作品を作り上げた。その後は様々な技法に挑戦し、「荒川志野」の名で珍重される幾多の作品を生み出すに至る。豊蔵の作は人気が高い故に贋作も多いが、今回の依頼品は果たして。
荒川豊蔵のぐい呑み、本人評価額は80万円。鑑定の結果、荒川豊蔵晩年の真作に間違いなく、評価額は120万円となった。
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