- 出演者
- 福澤朗 今田耕司 菅井友香 松嶋尚美 伊東勤
オープニング映像。旧車130台を所有するコレクターが登場。自慢の車は日本初の軽自動車「オートサンダル」。戦国武将たちが愛した変わり兜の珍品が登場。出張鑑定は大阪。名品・珍品が続々。1970年の大阪万博にまつわるお宝にとんでもない鑑定結果が。
新しいディレクターで打ち合わせの時に「おんぶに抱っこでよろしくおねがいします」などと言われたと今田耕司が明かした。
今日のゲストは西武ライオンズ黄金時代の名捕手である伊東勤さん。小学生から野球をはじめ、熊本工業高校に進学。3年の夏に甲子園に出場し、2試合連続でホームランを放ち、強打の捕手として注目された。1981年にドラフト1いで西武ライオンズに入団。1年目はストレスで激ヤセしたというが、入団3年目には正捕手に定着。西武の司令塔としてリーグ優勝14回、日本一8回に貢献。印象深いのは1988年の中日との日本シリーズ第5戦。延長11回裏にさよならヒットを放ち、日本一に輝いた。記憶にも記録にも残る活躍を重ね、2003年に引退。翌年には監督として日本一に輝いた。2009年のWBCでは総合コーチとして連覇に貢献。
伊東勤 のお宝は2009年侍ジャパン サイン入りユニフォーム。1人1人にサインを貰いに行って書いてもらったものだという。本人評価額は27万円。結果は200万円。ホーム用ユニフォームでニットタイプで貴重なもの。一般販売されたものはメッシュタイプのみだったという。そのため、間違いなく日本代表に支給されたものだと分かるとのこと。決勝タイムリーを放ったイチローさん、MVPに選ばれた松坂大輔さんなどそうそうたる選手のサインがあり、原監督やコーチ全員のサインもあり、さらに相談役だった王貞治さんのサインもあることが価値をさらに高めているという。1つ残念なこととして、負傷離脱した村田龍一さんのサインがないのは仕方ないとしても内川聖一さんのサインも抜けていると指摘。
福岡県久留米市から。田園風景の中、颯爽とやってきたのは真っ赤なオープンカー。依頼人は松崎秀樹さん。赤い車は昭和44年製のホンダS800だという。依頼人は旧車が好きで珍しい旧車をたくさん所持しているという。依頼人のガレージには主に1950年~60年代の国産旧車が130台並んでいた。20代の頃、人と違う車に乗りたいと思っていたところ、出会ったのが旧車だったという。全て運転して楽しみたいため、全部車検を通しているという。
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お宝は日本初の軽自動車と言われる幻の車。16年前100万円で譲り受けたものでコレクションの中で一番珍しいと思うものだという。この軽自動車は手作りで職人が鉄板を叩いて作っているという。新車の時の塗装から1回も塗装し直していないとのこと。車検は通っているとのこと。ワイパーは手動。オートサンダルが作られたのは1951年。製作したのは中野自動車工業。前期のものは2人乗りで三菱製のエンジンを転用。排気量は348ccで最高速度は45キロ。当時はスクーター免許で乗車可能だった。1952年、ボンネットを長くしたスポーツカースタイルに進化。最高速度は50キロになった。後期には最高速度70キロになった。何度もモデルチェンジを行ったが認知度が低く、自動車税の影響もあり、販売から3年、総生産台数196台で幕をとじた。依頼品は1951年製のFS型。
日本初の軽自動車「オートサンダル」は350万円という。中村孝仁氏によると現存するものはこれだけではないかといい、1951年製との表記も見られるが試作車の可能性もあるという。鑑定品はフリクションドライブという形式は効率が悪い形式が使われているものの、その後は2速3速も実現していったものの資金不足から生産できなくなり忘れ去られていった車種だという。
今回は万博を控える大阪に出張。テレビ大阪も新社屋が新調されている。
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- 2025年日本国際博覧会テレビ大阪
テレビ大阪・植草結樹アナはアナウンサー一家出身で、プロ野球の中継を担当している。父・貞夫さんは昭和60年(1985)第67回全国高等学校野球選手権大会で「甲子園は清原のためにあるのか」と実況したことで有名。そんな植草さんのお宝は貞夫さんが譲り受けたという1999年に新庄剛志選手が着用していたユニフォームだという。山本清司氏は本物のユニフォームであり、足が長く見えるように作られたこちらはカスタマイズ品だという。この年の新庄選手は敬遠球を打ちに行きサヨナラ勝ちを掴み取ったことで有名。
阿部卓史さんは日本語学校教師として様々な国の学生に日本語を教えてきた。お宝は田能村竹田の絵巻物で祖父が最も大切にしていたのだという。野菜や草花、生き物の細やかな描写が特徴だったが2万円で偽物だった。田中大氏は絵は拙いものの、当時田能村竹田が豊後日田へ足を運んでいたという事実を綴っている様子が見られるという。
大津七海さんは家具買取専門店・Relaxで働いている。お宝は1970年の大阪万博で使われたアームチェアだといい、大津さんが買い取りを会社に勧めたのだという。チェコスロバキア館のためにヤン・シュラーメクらが制作したオオサカIというものだった事がわかっている。
1970年の大阪万博で展示されたアームチェアの鑑定結果は、200万円だった。1969年に、チェコスロバキアの代表的な建築家でインテリアデザイナーのヤン・シュラーメクらがチェコスロバキア館で調度として使うために、デザインしたもの。曲木合板という技術が使われている。
井若さんが持ち込んだのは、ベーブ・ルースのサイン入り写真。父の遺品から出てきたもので、和製ベーブ・ルースと呼ばれていた山下実とベーブ・ルースが映っている。本人評価額は、5万円。鑑定結果は、50万円だった。サインは本物で、1934年の日米野球のときの写真だという。
羽山さんが持ち込んだのは、土方稲嶺の掛け軸。43年前、父が知人から借金のカタとして預かったもの。土方稲嶺は、鳥取藩の御用絵師だった。本人評価額は、75万円。鑑定結果は、3万円だった。贋作で、鶴の描き方などから、技量的に土方稲嶺の筆ではないとみられる。
福岡県久留米市の金子さんは、砂のコレクターで、これまで50カ国あまりを訪れ、各地の砂を持ち帰っている。依頼品は、加藤清正の兜だ。亡くなった父が知人から借金のカタとして預かったものだという。戦国時代に登場するのが変わり兜。1543年に、種子島に鉄砲が伝来し、戦が集団戦法に変わると、頭を保護する兜の需要が急速に高まり、作りを簡略化した兜が大流行する。武将らは、戦場で目立つために、兜に過剰な装飾を施した。ムカデや兎などの動物や釘などをモチーフにしたものがある。依頼品は、高さ73センチで、和紙を使った張懸という技法で作られ、両側には、加藤清正の家紋である蛇の目紋があしらわれている。加藤清正は、長烏帽子形兜を身に着けていた。依頼品は、実際に加藤清正が使った兜と形が似ている。
加藤清正の変わり兜の鑑定。本人評価額は、50万円。結果は、150万円だった。加藤清正が実際に使用した兜ではないが、江戸初期に制作された模作品だという。変わり兜は、外国人に注目されていて、高価だという。加藤清正が使用していたものなら、1000万円の価値があるという。
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