- 出演者
- 古田新太 大倉忠義(SUPER EIGHT) 村上信五(SUPER EIGHT) 横山裕(SUPER EIGHT) 丸山隆平(SUPER EIGHT) 安田章大(SUPER EIGHT) 茂木欣一(東京スカパラダイスオーケストラ) 高橋茂雄(サバンナ) 加藤隆志(東京スカパラダイスオーケストラ) 小林祐介(THE NOVEMBERS) ハシヤスメ・アツコ
オープニング映像。
今回はBLANKEY JET CITY&THEE MICHELLE GUN ELEPHANTの解散までの軌跡・メンバーの死、2バンドがいた時代を特集する。
ハシヤスメは音楽事務所のWACKの創業者でありBiSHなどをプロデュースした渡辺淳之介の影響でBLANKEY JET CITY&THEE MICHELLE GUN ELEPHANTを聴いていたなどと語った。主なバンドデビュー年表を紹介し、THE BLUE HEARTSは多くのバンドに影響を与え、民衆がさらなる音楽性を求め始めた頃にBLANKEY JET CITYが出てきたなどと伝えた。BLANKEY JET CITYデビュー前の80年代は原宿ホコ天、三宅裕司のいかすバンド天国によりバンドブームが訪れ、THE BLUE HEARTS「TRAIN-TRAIN」が大ヒットした。1990年にBLANKEY JET CITYが6代目グランドイカ天キングとなったなどと伝えた。1991年にデビューしたBLANKEY JET CITYの同期を紹介。その1人であった茂木は誰も聴いたことがない音楽を生み出そうという気持ちが皆あったなどと語った。
BLANKEY JET CITY「PUNKY BAD HIP」などを紹介し、小林らはBLANKEY JET CITYは不良少年のロードムービーがそのまま音楽になったような自由に旅をしていたバンドだったなどと伝えた。茂木は「ものスゴく独特な進行 聴いたことのないロック!! 3rdアルバム収録曲」として「D.I.J.のピストル」を紹介。
茂木は「ものスゴく独特な進行 聴いたことのないロック!! 3rdアルバム収録曲」として「D.I.J.のピストル」を紹介。小林は「ロックバンドそのものがこの1行に込められている」として「小さな恋のメロディ」を紹介。加藤・小林が「歌詞が物議を醸した美しいギターの音色が印象的な1曲」として「悪いひとたち」を紹介。小林はBLANKEY JET CITYの楽曲でメッセージ性が強く日常を変えてくれたなどと語った。
1996年にデビューしたTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT、90年代の主なバンドデビュー年表を紹介。加藤はTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTを初めて見たのはFUJI ROCK FESTIVAL ’98 in TOKYOで、当時は日本人アーティストはほんの僅かな出演枠であったなどと伝えた。THEE MICHELLE GUN ELEPHANTがデビューした1996年にヒットした楽曲を紹介し、90年代は渋谷系としてタワーレコード・HMVなどショップを中心に盛り上がったなどと説明。1997年デビューのバンドを紹介。1997年にFUJI ROCK FESTIVAL ’97が初開催、Hi-STANDARD主催のAIR JAMも初開催となった。1998年のFUJI ROCK FESTIVALでTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTのステージが伝説となったとしてLIVE映像を紹介。加藤は当時はまだフェスが定着していない頃で客がどれほど押し寄せるかもスタッフが把握していない中での緊張感あるステージで迫力もすごかったし、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTは数少ない日本人アーティストとして気合も入っていたなどと明かした。
- キーワード
- AIR JAMBOOM BOOM SATELLITESB’zDragon AshFUJI ROCK FESTIVAL ’97FUJI ROCK FESTIVAL ’98G.W.D.GRAPEVINEHi-STANDARDHMVMr.ChildrenSUPER BUTTER DOGSUPERCARTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTTRICERATOPSいしわたり淳治アベフトシウエノコウジキャンディ・ハウスクハラカズユキジェニースピッツタワーレコードチェリーチバユウスケフィッシュマンズフルカワミキミエナイチカラ ~INVISIBLE ONE~世界の終わり中村弘二中野雅之名もなき詩川島道行恒岡章斎藤宏介明治学院大学横山健田沢公大難波章浩
東京スカパラダイスオーケストラの歌モノ3部作でTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTのボーカルであるチバユウスケが「カナリヤ鳴く空」で参加したなどと紹介。小林らはチバユウスケの歌唱力がすば抜けており、音程を外しているところを聴いたことがなく、ハスキーな声質やシャウトに注目が行きがちであるが、楽曲はポップさがありチバがしっかり歌い上げているためポップに刺さったなどと語った。
加藤は「ボーカル&ギターに注目!! 1997年リリース 5枚目のシングル」としてTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの「ゲット・アップ・ルーシー」を紹介。小林は「ミッシェルの好きな歌詞が凝縮されている!!」として「ドロップ」を紹介。BLANKEY JET CITYは1996年にメンバー各々がソロプロジェクトを始動し、1999年に再びソロプロジェクトを始動させていた。その年、スカパラ初代ドラマーの青木達之が急逝し、わずか2週間後のツアーで中村達也がサポートを務めていた。そして翌年5月10日、BLANKEY JET CITYは朝日新聞紙面で突然の解散宣言を行った。
2000年7月9日、横浜アリーナでBLANKEY JET CITY最後のワンマンライブが開催し、3人のグルーヴがあまりに究極に極まっていたなどと伝えた。
THEE MICHELLE GUN ELEPHANTは2001年にはAlbum「ロデオ・ダンデム・ビート・スペクター」がオリコン3位を記録し人気が高まっていたが、人気絶頂の2003年8月31日にファンクラブ会員へ向けた封書で解散を通知した。そして2003年10月11日に幕張メッセで開催したTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTのラストライブはアンコールのラスト曲にデビュー曲「世界の終わり」が歌われたと伝えLIVE映像を紹介。
BLANKEY JET CITY・THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのメンバーは解散後各々にバンドやユニットを結成して活動し、そんな中で2009年7月にアベフトシが42歳で死去した。2019年には東京スカパラダイスオーケストラとチバユウスケが18年ぶりにコラボした。2023年4月にチバユウスケは食道がんの治療のため休養を発表し、11月に55歳でこの世を去った。東京スカパラダイスオーケストラは2024年11月16日のスカパラ甲子園でコラボ曲を披露して哀悼した。同じ時代を駆け抜けた盟友である浅井健一は自身のSNSで追悼の言葉を贈った。茂木らはチバユウスケはロックを貫いた人生を全うし、命をかけて表現した来たことは時代を超えていくのだと感じるなどと語った。
EIGHT-JAMの次回予告。
「見取り図じゃん」の番組宣伝。