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五ヶ瀬ハイランドスキー場は日本最南端のスキー場として1990年にオープン。22年9月、台風14号が襲来し、宮崎県内では甚大な被害を出した。スキー場へ続く唯一のアクセス道路も寸断され、営業中止を余儀なくされた。番組では再開までの日々を追った。
宮崎・五ヶ瀬町は標高が高く、降雪地帯でもある。22年の台風14号により、五ヶ瀬ハイランドスキー場へと続く道路は寸断され、食材や資材の運搬などで利用される従業員用道路には深さ1mの水路ができていた。人工降雪機に使う沢の水が引けなくては、雪も作れない。取材クルーはパーキングセンターからスキー場へ向かうことに。営業していれはリフトが稼働しているが、営業中止のため使えない。足だけで登るほかなく、約1時間を要した。スキー場を運営しているのは五ヶ瀬ハイランドで、オフシーズンは川崎一仁氏が管理を担当している。不幸中の幸いなのはスキー場に大きな被害が無かったことだという。
宮崎県立五ヶ瀬中等教育学校は全寮制の中高一貫校で、取材当時、スキー部には11人の部員がいた。練習拠点でもある五ヶ瀬ハイランドスキー場が営業中止となったことで、活動が大きく制限されていた。九重森林公園スキー場で練習を行ったが、バスチャーター、宿泊費と費用が嵩んだ。部員たちは営業再開を望み、役場職員、協力会社など多くが力を尽くすも、道路の復旧が間に合わなかった。
五ヶ瀬町にある宿泊施設「やまめの里」のオーナー、秋本治氏は40年以上前にスキー場建設を役場に提案した。向坂山で気象観測を続けた末、スキー場が適しているのではと思い至ったという。約20億円の建設費のうち、半分は国から補助がおりた。人口約5000人の町に日本最南端のスキー場がオープンし、町民は冬季従業員として支援した。来場者はしばらく5万人を超えていたが、近年は3万人前後。人口減少、暖冬の影響と不安材料が重なるなか、農家にとってスキー場で働くことは農閑期の貴重な収入源となっていた。だが、台風被害による営業中止を余儀なくされた。2024年8月、小迫幸弘町長はスキー場の営業再開を発表。五ヶ瀬ハイランドの川崎氏、町民からは安堵の声があがった。
五ヶ瀬ハイランドスキー場へと続く従業員用道路が復旧したことで協力会社もスキー場に上がり、作業が可能となった。24年8月、台風10号が九州南部に上陸した。スキー場へのアクセス道路が再び崩落したが、町によって迅速に復旧。スキー場の運営を担う五ヶ瀬ハイランドには新入社員が加わった。
24年12月初旬、五ヶ瀬ハイランドスキー場ではゲレンデづくりが行われていた。気象条件が整い、人口降雪機を稼働させた。台風被害から824日目の12月20日、スキー場が3年ぶりにオープン。営業再開に尽力した川崎氏は「いろんな人達がいい思い出を残せるようなスキー場にしたい」と話した。
エンディング映像。