- 出演者
- -
樺島にはかつて4000人が暮らしていたが、現在は245世帯384人が生活している。小学校は2010年に閉校し、子どもたちは隣町の学校へバスで通学する。営業マンだった山崎繁人氏(69)は20年前、漁師をしていた両親が海難事故に遭い、介護のために帰島した。現在、島にある灯台の管理などを任されている。晴天に恵まれた2月下旬、タンチョウヅルの群れが姿を見せた。漁師の小川一利氏(71)は伝統の一本釣りでアジを釣っていった。「野母んあじ」というブランド魚は高値で取引されているが、漁獲量は減少の一途をたどる。島内の一本釣り漁師は小川氏を含めて7人しかいない。
樺島の住民は週に2度の移動販売車に頼っていて、高齢者に重宝されている。オオシマザクラが咲く頃、樺島灯台まつりが開催。名物は樺島ハイヤ節で、豊漁と航行安全を祈願する。島内だけでなく島外の参加者も踊り、伝統を繋いでいる。
樺島には14の町があるが、過疎化が進む。牧裕貴氏(53)は20年前、一本釣り漁師に憧れて家族4人で移住してきた。4月はじめ、島の行者山に自治会長たちが集まり、行者山祭が催された。航行安全、豊漁を祈願する神仏混交の祭りだというが、山頂の社まで装飾などを運搬するのは重労働。加えて、高齢化が進み、祭りの開催に影響を及ぼしている。だが、少ないながらも若者もいて、小柳翔さんは山崎氏とともに公園を管理するようになり、23歳の松村勢波さんは父の健氏、母の豊子さんと漁に出ている。4月から8月まではたこつぼ漁が行われるなか、温暖化により水揚量は芳しくないという。
島にはミャンマーからの外国人実習生6人がいて、水産加工会社に勤務している。荒木寿氏(90)は60歳の時に島に戻り、野母崎町の町会議員を10年にわたって務めていた。晴れた日は3kmの道を散歩するなど、足腰は元気。灯台に足を運ぶと、備え付けのノートにその日を思いを綴っている。今、島では人口が減少する一方、イノシシの生息数が増加。県の助成が認められ、専門家を招聘してワナを仕掛けることにした。
夏休み、島に暮らす親子が集まり、BBQなどを楽しむ。お盆には島を離れた人々が墓参のために帰って来るので、島は賑わいをみせる。盆が過ぎると伊勢海老漁が解禁される。小川一利氏の船では6匹を水揚げしたが、燃料費の高騰もあり、6匹では採算が取れないという。10月、熊野神社で秋の例大祭が催された。神事のあとには神輿行列があるが、担ぎ手がいない。毎週火曜日、島の女性たちは食事したり、談笑したりする会合を行う。11月になると、アサギマダラが姿を見せる。ヒヨドリバナやツワブキの蜜で栄養を蓄え、季節風に乗って沖縄や台湾へ飛んでいくという。12月、強風が吹き荒れるなか、山崎氏、小柳さんは公園の清掃に奮闘。
24年正月、島民は熊野神社で1年の無病息災を祈願し、里帰りしてきた家族を港で見送った。4月末、無量寺で住職の長男である中路氏の結婚式が営まれた。寺での結婚式は70年ぶりということで、多くの地元民が集まっていた。25年3月、樺島灯台祭りが催され、樺島ハイヤ節で盛り上がりを見せた。地域おこし協力隊を経て、島に移住した菅原夫妻を取材した。祭りの会場で懐かしい人と再会できたといい、島では不便さやイライラもあるが、楽しいこと、嬉しいこともあるという。祭りでは「10年後の私へ」という手紙を書く企画があり、木口慶子さんは先の心配をせずに暮らせる社会の到来を願った。
エンディング映像。