- 出演者
- 宮根誠司 藤本万梨乃 鈴木悠 木村太郎 長嶋一茂 越水遥
大分市で開催された大型音楽フェスに中森明菜が登場。ライブに出演するのは16年ぶりのこと。「DESIRE-情熱-」などヒット曲を披露した。小室哲哉、氷川きよしらと一緒に「Get Wild」を熱唱した。
アメリカでの関税協議から帰国した赤沢経済再生相はトランプ大統領らからどんな話があったのかについて、石破首相らと詳しい確認と分析を行い、今後の方針をすり合わせた。
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- ドナルド・ジョン・トランプ石破茂赤澤亮正
大阪・関西万博から1週間が経過した。きょうもオープンと同時に、多くの人が続々と入場した。きのうまでの総入場者数は60万人を超えた。課題は、ネパール・インド・ベトナム・ブルネイの4つのパビリオンが未完成であること。
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- 2025年日本国際博覧会夢洲(東京)
日本時間きょう午前5時ごろ、大谷翔平選手が自身のSNSで女の子が誕生したことを発表した。去年12月、真美子夫人の妊娠を発表していた。今月18日、大谷選手はドジャースの父親リストに登録され、今シーズン初めて試合を欠場した。父親リストに登録されたことのある元メジャーリーガー川崎宗則選手は、監督から育児休暇を促され、試合に出たいと言ったら叱られたという経験を語った。
オープニング映像。
今夜のゲストはタレント・元プロ野球選手の長嶋一茂さん、ジャーナリストの木村太郎さん、弁護士の越水遥さん。
宮根キャスターは、中森明菜のニュースでテンションが上がったと話した。越水遥は「母が好きだったのでプレイバックとか歌っていた」と話すと、それは山口百恵だと出演者らに訂正された。中森明菜の代表曲は「DESIRE」など。長嶋一茂は、大谷翔平の父親リストの話題について、3試合だけ出場しないことは問題ないと話した。
これまで12人もの日本人選手を獲得してきたドジャース。実は日本との架け橋となった”伝説の日本人”がいた。
きょうレンジャーズ戦に先発した佐々木投手。初回キレのあるスライダーで三振をとり最高の立ち上がりをみせたが、3回にストレートをとらえられ先制を許す展開に。それでも味方が逆転。自身メジャー最長となる6回を2失点に抑え、勝ちの権利を得て降板。そして大谷選手の勢いは止まらず、17日の試合では6HRをきめた。
今年リニューアルしたドジャースタジアムを取材すると、日本人が押し寄せていたのは試合前の見学ツアーで、目の前に山本投手・大谷選手の姿が。大谷選手は普段はあまり試合前に姿をみせないというが、運が良ければ間近で見ることができる。去年大谷選手の入団をきにスタートしたのは日本語ガイドによる見学ツアー。75分間で約7000円。グラウンドで記念撮影などもできる。また今年導入された好きな選手と合成動画が撮れる新スポットには日本人が殺到。
ドジャースの日本人選手の原点を作った“伝説の日本人”、アイク生原さん。ロサンゼルスにある自宅を訪ねると、生原さんが生前使っていたガレージにメディア初取材。ワールドチャンピオンの記念バットや、ドジャースに野球留学したときの長嶋一茂さんが記録された映像が。長嶋さんと生原さんは師弟関係にあった。
ドジャースを支えた“伝説の日本人”、アイク生原さん。早稲田大学野球部出身で亜細亜大学の監督経験もあったが、日本式のスパルタ指導に限界を感じ、1965年アメリカへ。飛び込んだのがドジャースだった。
日本式スパルタ指導に限界を感じた生原昭宏さん(アイク生原さん)はメジャーの野球を学びたいと1965年に渡米、ドジャースの門を叩いた。傘下のマイナーチームで当時の責任者ピーター・オマリーとはのちの盟友となった。マイナーチームで2年間の研修がスタートしたが仕事は雑用係。研修修了が近づいたある日、出世したピーターは生原さんの仕事ぶりを認め共にドジャースで働くことに。生原さんは英語を学びメジャー野球の情報をインプット。1967年転機が訪れる。読売ジャイアンツがドジャースと合同キャンプを行い、生原さんは通訳を任された。これ以降アメリカから日本のプロ野球をサポートし架け橋となった。4年間未勝利だった山本昌さんは、クビ宣告も同然のアメリカへの野球留学を言い渡され生原さんと出会う。クビ寸前だった生原さんを生原さんだけは見捨てなかたっといい、山本さんは「アイクさんに会っていなかったら200勝投手山本はいない」と語る。生原さんはいつか日本人がメジャーリーグで活躍できる未来を夢見ていたという。当時26歳の長嶋一茂もドジャースへ留学し生原さんに指導を仰いだ。生原さんは長嶋一茂に可能性を見出しており、生原さんの自宅には、当時の長嶋一茂と生原さんを収めた貴重な映像があった。
「あなたを奪ったその日から」の番組宣伝。
「続・続・最後から二番目の恋」の番組宣伝。
番組は生原さんの自宅で33年前に撮影された映像を発見。当時26歳の長嶋一茂にアドバイスを送る生原さんの映像だった。
生原さんの印象を訊かれ長嶋一茂が語る。「野球のことしか頭にないような一日。マイナーには他にもコーチや監督がいてアイクさんが通訳してくれたが、コーチの言った内容のその10倍ぐらいしゃべる。生原さんのすごい情熱を近くで受けれて幸せだった」。
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今回の取材で、生原さんのガレージからは川上哲治元監督からの手紙など貴重な遺品が見つかった。
生原さんについて、木村太郎が「当時は野球に限らず、日本を一回出て世界を見直そうという向きがあった」、一番の思い出を訊かれた長嶋は「試合に出れない時期、一回門限を破ってフーターズで夜通し飲んでいた時、見つかって『次やったら日本に帰す』と怒られた時」と返答。
長嶋一茂の再起をかけ二人三脚で野球に打ち込むこと2カ月。病魔が生原さんの体を蝕んでいた。
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