- 出演者
- 宮根誠司 藤本万梨乃 鈴木悠 木村太郎 長嶋一茂 越水遥
「呼び出し先生タナカ」、「続・続・最後から二番目の恋」「あなたを奪ったその日から」の番組宣伝。
4月25日(金)に公開される映画「パリピ孔明 THE MOVIE」の告知。
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- パリピ孔明 THE MOVIE
一茂さんの指導を進めるアイク生原さんだったが、この時にはすでに末期の胃がんを患っていた。生原さんは病床から一茂さんへ連絡をかけ、メジャーリーガーになるまで指導することができなかったと悔やむ姿を見せた。
生原さんはドジャース・ピーターさんへ野茂英雄さんを紹介していた。ソウル五輪で日本の銀メダル獲得に貢献した野茂さんだったが、その実力を生原さんはすでに見抜いていた。そして、その7年後にはドジャースの投手としてトルネード旋風を吹き起こすこととなる。ピーターさんは「野茂投手と契約したのはドジャースにアイクがいたからです」と回顧するなど、生原さんが残した道は今に通じている。
アイクさんの指導を受けてきた一茂さんだが、当時について病室からも多く連絡を取っていたが、その背景には日本人大リーガーを育てるという夢があったと思う、日本人選手の活躍に天国で喜んでいるのではないかと振り返った。また、一茂さんは当時のアメリカは人種差別が厳しく黄色人種は黒人よりも下に見られていたが、その中でピーター・オマリー氏に認められたのは大きいと振り返った。
全国の天気予報を伝えた。
東京疲労・睡眠クリニック・梶本修身さんによるストレッチを紹介した。
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- 東京疲労・睡眠クリニック梶本修身
第一子が誕生し父親となった大谷選手。真美子さんの出産に備え利用したという父親リストについて。日本時間今日午前5時ごろ、大谷選手が自身のSNSで長女誕生を報告。この日の試合中、ロバーツ監督はベンチから異例となるコメントを出した。この日の試合を観戦していたというフルカウントの真柴氏はアメリカの記者が集まってきて、質問攻めにあったという。試合は佐々木朗希投手が6回を2安打1失点の好投としたが、サヨナラで敗れ初勝利とはならず。去年の12月に妻の妊娠を発表していた大谷選手。きのうの試合直前、ワトソン氏が大谷選手の欠場を伝え、出産が近いことを明らかにするとロバーツ監督も出産に言及。球団もSNSで父親リスト入りを発表。
父親リストはメジャー独自の産休制度。家族の出産に立ち会うため最長3日間チームを離脱できる。これまでにダルビッシュ有投手など多くの日本人選手も活用。川崎宗則さんも父親リストを活用した1人。ブルージェイズに所属していた2013年、長男の誕生の際、父親リストに登録されたという。もう生まれると連絡が入った時には約1800キロ離れた遠いところにいたという。試合に出たいと監督に言ったら怒られ、野球より大事だと説得されたという。当時はメジャーに昇格してすぐで3日間も休んだらマイナーに落ちるのではないかと迷いもあったという。野球選手である前に1人の人間とアメリカで学んだなどと川崎宗則氏は話した。約6時間のフライトでトロントに戻るも到着したのは長男誕生の1時間後。それでも3日間家族との幸せな時間を過ごすことができたという。2011年に導入された父親リスト。今や多くの選手が活用しているが、アメリカのプロスポーツで導入されているのはメジャーリーグだけ。
現地記者によると2000年代初頭には選手が産休をとって欠場した時には選手が不足しているまま試合をしていたという。2011年に父親リストが導入されてからは、抜ける選手の代わりに別の選手の登録が可能になったという。しかし、制度導入書記には子どもの出産のためにチームを離れたことで批判を浴びた選手もいたという。2014年には父親リストに入って開幕戦を欠場した時も大きな議論となったという。父親リスト導入から14年。すっかり定着した父親リスト制度。 父親リストのおかげで真美子さんの出産に立ち会うことができた大谷選手。明日の試合から復帰予定。
ドジャースの番記者の阿部太郎記者(中日スポーツ)に話を聞いた。大谷選手が第1子女児誕生を受け、現地では大騒ぎとなり各メディアも報じたとのこと。
大谷選手も活用で話題になっているのが、選手が“産休”を取れるメジャーリーグの“父親リスト”。今回も出産に備え休場した。スタジオでは日本でもこうした制度は議論されるべきだと話した。
世界の先陣を切りアメリカと対峙した日本を、各国は「日本が交渉におけるモルモットとしての立場」「日本の交渉担当者の訪問は炭鉱のカナリアと見なされていた」などと称した。75か国以上が交渉を控える中、その行方に注目が集まった日米間税交渉。開始前日から日本は翻弄された。本来参加する予定のなかったトランプ大統領が、SNSで突然の参戦表明。会場も当初の財務省からホワイトハウス大統領執務室に変更された。交渉人を担った赤澤亮正経済再生担当大臣は、一昨日自民党のYouTubeチャンネルで「トランプ大統領が自ら参加すると聞いてびっくり」などと述べた。ホワイトハウスが公開した27枚の写真について、前嶋教授に読み解いてもらった。「がちの交渉をするというよりもトランプ大統領の意見を聞く場。社長に呼ばれた部下みたいな感じ。この演出も会ったと思う」などと述べた。一方日本側も、「交渉というより外交。外交の表敬訪問の絵になってる」などと述べた。その背景について、日本側の残像にあるのはゼレンスキー氏とトランプ氏の会談。一昨日更新された自民党のYouTubeでも「同じことになったら大変だなと思って心配していた」等と話していた。トランプ大統領を怒らせないというハードルはクリアしたが、交渉が始まると「日本との貿易赤字をゼロにしたい」などと厳しく主張。赤澤大臣は、強くいうべきことは言ったという。トランプ大統領は、話を聞ことする姿勢は明らかで、話が終わるまで丁寧に待ってくれる感じだったという。トランプ大統領と直接交渉できたことで、日本として得るものはあったという。方や、トランプ政権にとっては27枚の写真を世界に発信したことに意味があると前嶋教授は指摘。他の国もこの日本を学んでこんな形でアメリカにきてくれよというメッセージだという。さらにアピール先は交渉相手の国々だけでなく、国内の支持層向けのPRだという。一方、トランプ政権にコネクションを持つアンドリュー氏は、写真を公開した意図を「交渉に自分が関与すれば最高レベルで取り扱う案件で、交渉を長引かせないというメッセージ。いくつかの取引を成立させることを急いでるのは確か」などと読み解いた。
現地時間おとといアメリカニュージャージー州プリンストンの店、アメリカで販売のおもちゃの75~80%が中国製のため経営が揺らぎ始めているという。アメリカが中国から輸入しているものの第3位はおもちゃで中国製おもちゃ抜きではアメリカおもちゃ業界は成り立たずトランプ関税により今後値上げを余儀なくされれば業界は大打撃となる。取材した店では関税が上る前にクリスマスまで在庫がもつよう費用約5500万円を投入し大量仕入れを行った。客の中には早くもクリスマスプレゼントを購入した人などもいたということ。トランプ関税が続けばこの先の見通しが立たず、145%の関税が続けば現在50ドルのおもちゃは将来は120ドルになり営業が続けられないと語った。アメリカ国内の状況もトランプ大統領に成果を急がせる一因となっている。
日本との関税交渉を終えたその日トランプ大統領はSNSで「日本の代表団と会談できたことは大変光栄、大きな進展」とアピールした。相互関税を一時停止している90日の間各国との交渉が続く。日米交渉翌日にはEUの先陣を切りトランプ大統領とイタリアが交渉、現地ジャーナリストアントニオ氏は「トランプ大統領と赤沢大臣の会談はイタリアでも報道、日本の交渉はヨーロッパの関税がどうなるかを見るためにも有益だった」などとし、イタリアでは日本のケースから交渉のやり方を探ったという。冒頭、メローニ首相はトランプ大統領の決め台詞をなぞり懐に飛び込むトークでトランプ大統領のローマ訪問の約束を取り付けEUとの交渉につなげた。きょう石破総理は出演のテレビ番組で「一方が得して一方が損するみたいなことは決して世界のモデルにはならない。日米交渉をこれからの世界のモデルにしていく」と語った。2度目の日米関税交渉は今月中行われる予定。
トランプ関税の日米交渉について木村さんは「各国から関税問題でアメリカに協議を求めることにトランプは下品な言葉で言い協議すべきでないと思った。約束してなかったなら50点はあった。のらりくらりしていかず日本がコミットしちゃうとツケがやってくる」などとした。木村さんはトランプ関税について「トランプ政権”終わりの始まり”」とした。相互関税後90日間の猶予を与えたことにアメリカの新聞は「まばたきした」と報じ、チキンレースに負けたとした。国民生活にも影響が出ていて今年のイースターでは家庭47%が高くなった卵が使えない。現地時間9日に発表されたトランプ大統領の支持率は41%が支持で53%が不支持だった。またトランプ政権は全米の名門大学を中心にガザ情勢でイスラエルに抗議する学生の取締を強化や多様性重視の取り組み廃止を要求していたがハーバード大学は要求は政府の権限を越えているとし拒否した。また木村さんは4月20日にアメリカ南部に戒厳令を敷くと噂されているとした。
スクールバッグ「ワッペ」が今女子高校生に人気。ワッペを手掛けるワールドペガサスジャパンは、野球用品専門メーカー。野球バッグなどのノウハウを持った工場に、スクールバッグを提案して始まったという。ある都立高校のスクールバッグが始まりだったという。販売は、八王子にある運動具店1軒だけ。その店が近くの都立片倉高校用につくったのがワッペだった。
スクールバッグ「ワッペ」の人気の源流を調査。ワッペが初めて登場した雑誌は、「S Cawaii!」の2003年11月号。村瀬さんは、ワッペに憧れ、2002年に八王子の片倉高校に入学したという。23年前から愛用していたワッペは、今でも大事に取ってある。村瀬さんの友人で、別の高校に通っていた舞さんは、ワッペを店頭に買いに行ったという。1991年に片倉高校に入学したという女性によると、90年代初頭のワッペは、スクールバッグではなく、体操着入れでおしゃれではなかったという。92年入学の男性によると、92年にはほぼ使われていなかったが、94年には学校内で流行し始めていたという。92年入学で、造形美術コース1期生のまいもさんによると、憧れの先輩が仲間と一緒に持ち始めたという。その先輩である法子さんによると、私立高校のスクールバッグのようにお揃いで使えば、体操着入れもおしゃれに見えるのではないかと使い始めたという。先輩のマネをして後輩たちも使うようになり、92年以降校内にワッペが広まった。95年には、他校の生徒が持ち始め、翌年には流行した。97年、当時カリスマ女子高校生などを取り上げ大人気だった雑誌「東京ストリートニュース」に、片倉高校の菊地さんが掲載され、ワッペは都心にも広がっていった。2000年代に入ると中学にも広がり、恋のアイテムや、先輩に目をつけられるアイテムになった。2009年の雑誌に掲載された東京の流行ランキングでは、H&Mを抑え、ワッペが4位となった。今では、親子2代でワッペ世代が現れ始めた。
女性高校生に人気の“ワッペ”。この日、舞さんは娘のためにメリカリで購入した。30年以上前、お揃いのスクールバッグへのあこがれが東京を席巻している。
スクールバッグ“ワッペ”について、福岡出身の藤本万梨乃アナはワッペのスクールバッグを持つ東京の高校生に憧れたという。ワールドペガサスは人気を受けて、“新”ワッペを全国300店舗で販売している。
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