2023年11月3日放送 5:10 - 5:35 NHK総合

NHK地域局発
たっぷり静岡+「加藤諒の家康ゆかり旅〜駿府編〜」

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(オープニング)
今回は…

今回は大河ドラマ どうする家康がドラマ内で静岡に入ったという。そこで静岡市を探索する。

キーワード
大河ドラマ どうする家康
オープニング

オープニング映像。

(NHK地域局発/たっぷり静岡)
加藤諒の家康ゆかり旅 駿府編

家康が駿府で暮らしたのは人質時代の8歳から19歳のとき。将軍を引退し大御所として戻ってきた時だが、本能寺の変から関ケ原の戦いの間にも駿府で暮らしていたという。40代の家康は3年半ほどの間に天下人になるための大切なことをしていいたという。今回はその家康のゆかりを探しに行く。家康は駿府城の修復とともに城下町の整備も進めた。その街づくりには天下人を見据えた戦略が隠されている。ここはかつて鋳物師町という鋳物職人の街だった。家康は駿府城のすぐ近くに鋳物職員を集めた。鋳物は溶かした金属を型にいれてつくる鍋や釜などの製品。栗田産業は133年前に鋳物師町で生まれたこの会社は鋳物ルーツを伝えたいと歴史を伝えている。家康は高い技術をもった鋳物を職人を引き立てて戦の陣地にまで連れて行った。中でも家康が高く評価したのは、山田七郎左衛門と山田六郎左衛門の兄弟。家康が山田七郎左衛門の実力を認め、駿河と東京の鋳物職人のトップに。その技術力で駿府の鋳物師町では鍋や釜だけでなく、最新の武器も作れるようになったという。

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今回は加藤がその鋳物職人の元へ。原木さんは鋳物職人一筋で大きなものでは産業用ロボット向けの部品を作るなどしている。今日作るのは富士山の箸置き。砂で型を作るが、失敗もありつつ錫を型に流す。そして砂の中から取り出し箸置きが完成した。家康は秀吉の重臣となり忠誠を誓った。家康は自分の国の5カ国の統治に専念できるようになったが、甲斐や駿河は旧武領で反発する人も多かったという。得に神経を使ったのは田畑の面積を調べ年貢や労役を決める検地。一歩間違えれば民衆や漁師の反乱が起きかねない状態に。その検地に込めた家康の知恵が静岡市歴史博物館に。

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静岡市歴史博物館にやってきたが、ここには博物館の下からでてきた400年前の道と石垣の跡が。それまでは領主がバラバラに年貢をとっていたが家康は領主が勝手に年貢を取り立てないようにルールを決めたという。七か条定書とは、年貢を取り立てる際のルールを統一したもの。これまで年貢のルールは各地域の領主がそれぞれに決めていたが家康は、民衆にとって公平で納得があるものに変えて各地の領主の力を制限した。それでも反発しそうな領主に対しては領主がいうことをきかなければ家康に直接訴え出るようにとしている。その後将軍になり、江戸幕府を開いた家康は駿府時代の経験が存分に活かされたと鈴木さんは考えている。気の抜けない日々を過ごしていた家康。駿府の血である食べ物を愛していたという。その食べ物があるのは藤枝市岡部町。朝比奈ちまきは笹にくるまわれ薄黄色い見た目をしている。加藤は味の感想にもっちもちでほんのり固めな餅でお米のような甘味がするという。朝比奈家に伝わる古文書では家康が食べるためにちまきを献上したと記される。また戦国時代には戦に行く際に持っていった非常食だという。

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そして大事な出来事には於愛の方が亡くなった。家康を支えていた女性だったがその墓は今も静岡市の中心部の寺に残っている。江戸時代に徳川家が建てたとされる宝台院にある。石野さんによると於愛の方は様々な書物を読んでいたというが知識をいかして家康を支えていた。於愛の方に家康が感謝の気持ちを示したものが。自分が筆を入れた絵を送ったという。宝台院は於愛の方ゆかりの寺として家康や歴代の将軍から大事にされ1万坪の境内を持つように。そこで歴代の住職は愛されるようにとその境内を活用してきたが、過去にはラジオ体操をしていたという。

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宝台院徳川家康西郷局
(エンディング)
エンディング

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