被爆者の97歳の女性は新婚まもない18歳の時、爆心地から1.5キロで被爆した。右半身をおおやけどして手術を繰り返したが右手が不自由になり顔などにケロイドが残った。原爆投下から約10年間、医療や経済的な支援が乏しい中、被爆者は厳しい差別や偏見にさらされた。女性も周囲から心無い言葉を浴びせられ、夫の親戚から離婚も迫られた。希望を失った被爆者に希望の手を差し伸べて欲しいと1編の詩にその思いを込めた。詩に感銘を受けた文筆家が核保有国などで被爆者が証言する世界平和巡礼への参加を後押ししてくれた。女性はおよそ10年ぶりに講演し平和巡礼について語った。アメリカを訪れた際、原爆被害の実態が伝わっていないと感じたことを伝えた。一方でホームステイ先での家族の優しさに触れた。女性は悲しみと苦しみが和らぎ次第に“原爆の生き証人”としての使命感に変わっていった。女性は「被爆したことは不幸なことだった。だが私が語る一言一言を受け止めてくれる人もたくさんあっていい人生だと思っている。傷ついた体ではあるが生きていてよかった」と話した。