日銀・植田総裁は「予見可能な形で」という言葉を何度も使い、丁寧に進めていく必要があるという考えを強調した。慎重な姿勢を見せる日銀の3つのトラウマ。「オイルショック後の狂乱物価」「プラザ合意後バブル助長」「ITバブル崩壊でゼロゼロ金利解除」があり、1970年代のニクソンショックと第一次オイルショックのダブルパンチで狂乱となった物価。プラザ合意によってバブルが崩壊し、金融引き締めが遅れたことで、失われた30年と言われる時代になった。 ゼロ金利を解除したタイミングで株価減少が起きたことでさらなる株価が暴落するなどの失敗が続き、為替と金融政策を結びつけたくないという。