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「オレたちひょうきん族」 のテレビ露出情報

今回はハリウッドザコシショウとトータルテンボスが登場。ハリウッドザコシショウは2009年からYou Tubeをやっていたという。その内容ではアメリカのプロレスラーのスコット・スタイナーのモノマネをよくしていたがケンドーコバヤシか宮川大輔しか見てなかったと答えた。何故その頃から動画を投稿していたのか?についてハリウッドザコシショウは一人ごっつが好きで、そういう冠番組を持てたらいいなと思っていたと答えた。トータルテンボスもYou Tubeに動画を投稿し始めたという。藤田へのイタズラ動画で人気のチャンネルに。そのイタズラ動画をあげるきっかけに大村は小学校から藤田にいたずらを仕掛けていたと答え、中学3年の時に届いた年賀状について藤田はクロスワードパズルになっていたという。その答えを下ネタにしたという大村だったが藤田はそれを母親が解いてしまったので最悪だったと答えた。また動画の中にはインドでかなりバズったものもあったという。
ハリウッドザコシショウは幼少期について、あまり喋らず女の子と遊んでいるような子どもだったという。しかし小学校3年の時にこれではいけないとキャラチェンジをしたという。またその時にお笑い芸人を目指そうと思ったというがきっかけはオレたちひょうきん族のビートたけしを見てからだと答えた。また東京イエローページという竹中直人が出ていたお笑い番組があったが。竹中直人が行うお笑いは他の人とは違い、ツッコミで絶叫するなどをしていて衝撃をうけたという。自分はコレだと思ったと答えた。コンビを結成しNSCに入ろうと大阪に行ったがその竹中直人のようなスタイルが全くウケず、また方言も強かったという。しかしそこにわめくことをすると仲間内ではウケるようになり同期が持ち上げてくれたという。また同期にはケンドーコバヤシや陣内智則らと答えたザコシショウ。その中のたむらけんじは当時は好かなかったというが、女子ウケしやすい芸風をしており、自分に向かってなぜそんなことを何年もやっているのかと言われたという。
藤田は大村は中学時代モテる方だったが自分は全くだったという。また中学2年から3年まで女子全員に無視されていたというが、深い理由はわからないという。大村はその理由は藤田が女子ウケをしようとカッコつけようという意識が強かったと答え、女子にそれがダサいと言われるとふてくれされ帰ってしまっていたという。トータルテンボスといえばネタに定評があるが、それまでには様々な苦労があった。大村は藤田とは大学は別々で2年までは普通に通っていたが単位が2しかとれず留年が決定したという。このままは良い企業にも就職できず、いろいろ試したいと思う内の一つにお笑いがあったという。さらに中学時代の藤田を思い返しお笑いに誘ってみようと思ったという。一方で藤田は大学生なのに大学に通っておらずゲームをしていたという。その時目指していた芸人にちょうどロンドンブーツ1号2号が出始めた頃でカップル相手にワチャワチャしていた事にこういうのがお笑いだと思ったという。しかし実際はネタ見せの仕事しかなく当時、ネタ見せはつまらない芸人がすることだと思っていたと答えた。
大村はネタは当初からウケていたか?について最初の頃は藤田もこういうキャラではなく、自分のボケではウケるが藤田のツッコミでは笑いをとれなかったという。藤田はその台本のセリフを言ってもウケないので地元の言葉を使った自分の言葉で言いたいと言い出したという。しかし大村はそのことに反対だったというがその理由に同じようなツッコミをするアンタッチャブルの柴田を自分の母親が嫌っていたためで年配にはウケないのではと思っていたという。しかしそれでも藤田が思う通りに突っ込むと、不思議とネタはウケるようになったという。それからテレビに出れるようになったというトータルテンボス。しかしひな壇が苦手だということがわかったという。大村は自分を知っている人にひな壇で頑張っている姿を見られるのが恥ずかしいと答えたが藤田は持ち前の面白くなさが出てしまうと答えた。大村は藤田についてなぜコンビに誘ったのか?については愛くるしさがあったと答えた。また若林はザコシショウと番組で初対面でネタ作りをしなければ行けない状況になり、先輩芸人に電話し人柄を聞いたという。
ザコシショウは今のスタイル確立には大きな転機があったという。あらびき団でキャラ漫談をしていたがそれでウケていたという。しかし番組が終了し、ネットになった時に権利物が難しいのでキャラ漫談ができなくなったという。そこでモノマネを選んだが、厳選して選んだものが同番組でウケたという。その中に誇張モノマネがありそれがウケたと答えた。またR-1チャンピオンになった年については、その去年の大会では白ブリーフでネタをやっていたというが、モノマネ=タモリの形態模写だと感じていたのでそれに習い白ブリーフでネタをやっていたと答えた。しかしコンプライアンスが厳しくなり女性が見ることができないと言われいつも3回戦で落ちていたという。しかし黒パンに変えて優勝した年に゙同じネタで出ると優勝したと答えた。またザコシショウは後輩のネタについてのアドバイスはみてほしいと言われたらする程度だと答えた。しかしコンビを解散した頃は路頭に迷っていて、その頃は漫画家にでもなろうと持ち込みに行っていたという。ネタをのまま4コマにしたがその漫画にお笑いを観たほうが良いと酷評されたと答えた。
ザコシショウはR- 1 の審査員を受けた理由については優勝したのに1分コーナーに出ていたというが審査員になったらそれがなくなったという。審査員をすれば芸人としてのランクも上がるはずだと思い、実際にやるとそのランクも上がったと答えた。ザコシショウは真面目な取材がきていつものようにふざけ倒しても取材のオファーには応えられていないというが、もし真面目にと言われたらそれに応えると答えた。そして自己プロデュースもちゃんと考えているというがエゴサーチもしっかり行い、世間にどう思われているのかは把握しなければ行いけないと答えた。またザコシショウはかわいいなと思われてなければいけないと答え、体型も太らず丁度いい体型を維持していると答えた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年11月4日放送 19:58 - 20:52 NHK総合
ファミリーヒストリーファミリーヒストリー
椿鬼奴(旧姓・宮崎雅代)のルーツを探る。昭和41年、21歳になった摂野は鉄鋼関係の商社で働き始める。この時、出会ったのが営業部のエースとして活躍していた宮崎康生だった。2人は後に結婚。その後、康生の転勤で東京へ。翌年、長女として雅代が生まれた。この時移り住んだのが代官山の高級マンション。生活にも余裕があった。武吉に似て康生は教育に厳しい父だった。しかし、雅代[…続きを読む]

2024年11月1日放送 0:05 - 1:05 テレビ朝日
アメトーーク!(親が先生芸人)
堀内は父がパンチパーマでサングラスをしていた、親は全然厳しくなかった、先生の家庭は厳しいか放任主義かどっちかと話した。横澤は校則が家でも法律になってた、親が先生だから塾に通わせてもらえなかったと話した。石田は宿題を見られて叩かれてた、自分の友だちにも怒っていたと話した。箕輪はクリスマスプレゼントがカレンダーだった、小4の時にクリスマスプレゼントはきょうからあ[…続きを読む]

2024年9月27日放送 0:25 - 0:55 フジテレビ
私のバカせまい史(私のバカせまい史)
今夜は「飲み会で乱用されまくるお笑いテンプレ史」。芸人たちがテレビで披露していたフレーズを我が物顔で使用する人々をこの世には一定数いる。芸人たちが一般人のお笑いマウントについて徹底討論する。飲み会で芸人のフレーズが乱用されることはスゴくいいことだが、違和感を感じていることが多い。乱用されているフレーズをヒコロヒーが紹介した。なぜお笑いテンプレが乱用されるよう[…続きを読む]

2024年9月20日放送 21:00 - 22:52 フジテレビ
さんまのまんま40年目もさんまの季節がやってきたSP
ゲストは宮沢りえ。さんまとは8年ぶりの対面。初対面時、宮沢は当時10代。その頃に初めての写真集を出版しており、これを貰ったのが思い出なんだそう。さんまは丁度この頃に娘が誕生。さんま家では記念日ごとに1つずつリングを増やしていく「ベビーリング」を夫婦で着けていたが、1つ増えたのみで終わったそう。離婚の可能性を問われると、宮沢は「うちは大丈夫」などコメント。[…続きを読む]

2024年7月28日放送 14:00 - 15:00 日本テレビ
令和ロマン・ラランド・ヨネダ2000の番組(仮)令和ロマン・ラランド・ヨネダ2000の番組(仮)
まずは番組タイトルを決めることに。2024年サンバリュ枠視聴率ランキングトップ10を見てみた。過去のユニット番組名も参考にした。会議の末、番組タイトルは「犬とラーメンと赤ちゃん!」に決まった。

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