TVでた蔵トップ>> キーワード

「金日成」 のテレビ露出情報

1945年8月。ソ連軍の朝鮮北部進軍により、35年に及ぶ日本の朝鮮支配は終わりを迎えた。それから1ヶ月後、朝鮮南部にはアメリカ軍が進軍。両者は38度線を境界とし、朝鮮半島を分割統治することになった。この分割統治案は8月14日に2人の米軍将校が30分で起草したもので、統治の開始直後は国境の警備も緩く、現地の兵士たちも互いに友好的なムードで接していたという。それから程なくして、アメリカ側の朝鮮南部統治の責任者としてGHQ最高司令官のダグラス・マッカーサーが就任する。マッカーサーはアメリカに亡命していた独立運動家の李承晩を後押しし、アメリカ側に大韓民国を建国。大統領となった李承晩だが、共産主義に対する恐怖に取り憑かれていた彼はやがて、武力によって北側の共産主義者を打ち倒そうと考えるようになる。一方、北側では抗日ゲリラであったソ連軍人、金日成がソ連の後押しで指導者に就任。彼もまた武力による朝鮮半島の統一という野望を抱き、1949年にはモスクワでスターリンと対面。金日成は国内に眠るウランを提供する引き換えにソ連製の武器を大量に手に入れた。金日成を通じてウランを手に入れたソ連は、同年8月29日に核実験を成功させる。こうして、ソ連も核の力を手にすることとなった。
1950年6月25日。ソ連製の兵器を手にした北朝鮮は南側へと侵攻し、朝鮮戦争が勃発する。第二次世界大戦当時の貧弱な武装しか有していなかった韓国軍は北朝鮮軍の猛攻に為す術もなく敗北し、わずか3日で首都・ソウルは火の海となる。事態を重く見た国連は軍の派遣を決定し、38度線まで北朝鮮軍を押し戻すことを決定。国連軍の司令官にはマッカーサーが就任し、東京から指揮を執ることになった。日本に駐留していた米軍を中核とした国連軍は朝鮮半島へと上陸するが、核という究極の兵器を手にした米軍は緩みきっており、満足な訓練も受けていなかった兵士たちは敗北を重ねる。国連軍は朝鮮半島南端の釜山にまで追い詰められ、韓国は国土の大半を失陥した。
朝鮮戦争の勃発により、アメリカは日本の占領政策を大きく転換させる。在日米軍のほとんどが朝鮮半島に出払ってしまったため、マッカーサーは日本独自の軍事力として警察予備隊を創設。これに続き、マッカーサーは日本を共産主義の防波堤とすべく、1万人以上の公職追放を解除。A級戦犯として巣鴨プリズンに収監されていた岸信介も1952年に政界へと復帰し、後に反共主義勢力を国内に築き上げていくことになる。
1950年8月。マッカーサーは劣勢を覆すため、ソウルに隣接する仁川への上陸作戦を計画する。北朝鮮軍の背後に上陸した部隊と釜山に展開する部隊で北朝鮮軍を挟撃する作戦だったが、世界有数の干満差がある仁川への上陸は至難の業だった。内部から猛反対の声が挙がる中でマッカーサーは作戦を強行し、激戦の末9月15日に部隊は上陸を果たす。9月28日にソウルは奪還されたが、街中には北朝鮮軍により虐殺された人々の死体が溢れていた。
勝利を手にしたマッカーサーだが、それには飽き足らず38度線を越えて進軍し、北朝鮮軍を撃滅するという野望を抱くようになる。北進を続ける国連軍は北朝鮮東部で強制収容所を開放するが、そこには新興宗教の教祖であった文鮮明という男が囚われていた。国連軍によって開放された彼は国際勝共連合という政治団体を各国に立ち上げ、日本では勝共連合発起人となった岸信介との関係を深めていった。
国連軍が進軍を続ける中で金日成はスターリンに軍の派遣を求めたが、アメリカとの核戦争を懸念したスターリンは要求を拒否する。国連軍は1950年10月に北朝鮮北部に到達し中国との国境である鴨緑江まで目前に迫るが、そこには38万に及ぶ中国の義勇軍が息を潜めていた。前年に建国を果たしたばかりの中国を率いる毛沢東はアメリカに戦いを挑むことで国際社会での存在感を高め、同時に国民党の敗残兵を戦場に送り込むことで効率よく始末しようと考えていたのである。11月25日、中国義勇軍は鴨緑江を渡って国連軍を急襲。圧倒的な大軍を前に国連軍は撤退を余儀なくされ、軍人としてのプライドを傷付けられたマッカーサーは激怒する。マッカーサーは本国にソ連と中国の都市を26発の核兵器で攻撃する許可を求めたが、第三次世界大戦の勃発を危惧したトルーマン大統領はマッカーサーを解任。こうして、マッカーサーは日本から去ることになった。
朝鮮戦争は日本に朝鮮特需をもたらし、赤字が続いていたトヨタ自動車を破産の危機から救うなど日本経済が復活を遂げる起爆剤となる。その立役者であるマッカーサーの人気はアメリカでも絶大で、マッカーサーの解任を巡ってトルーマン大統領率いる民主党の人気は凋落。1952年の選挙では代わって共和党のドワイト・アイゼンハワーが大統領に就任する。アイゼンハワーは第二次世界大戦でノルマンディー上陸作戦を指揮した軍人で、マッカーサー同様に朝鮮戦争集結のためには各攻撃も辞さない姿勢を見せていた。同じ頃、アメリカが水爆の実験に成功したことを知った毛沢東はこれを口実としてスターリンに核兵器の製造法を教えるよう求めたが、スターリンは中国に核の力を授けることなく1953年に死去する。スターリンの死を契機にソ連では朝鮮戦争の休戦を求める声が高まり、1953年7月27日には休戦協定が調印される。合計で500万人以上が犠牲となった戦争で朝鮮半島が手にしたのは、わずかに傾いた国境だけだった。
休戦後も朝鮮戦争に関わった各国の不和が止むことはなかった。金日成はアメリカへの勝利とアメリカに協力した日本への憎悪を声高に喧伝し、ソ連は1953年8月12日に水爆実験を実施。1964年10月16日にはソ連の技術供与を受けた中国も核実験に成功。ソ連崩壊後にはウクライナの技術者を取り込んだ北朝鮮も核開発に着手し、現在に至るまで核実験とミサイルの発射を繰り返している。朝鮮戦争が勃発した当時、世界に374発存在した核兵器は年々その数を増やし続け、現在は12705発の核兵器が世界に散らばっている。核の力を求め、それによって職を追われたマッカーサーは退任式の演説で次のような言葉を残している。「私は今生きている誰よりも戦争については知っています。これほど嫌悪すべものはほかにありません。しかし、一旦戦争が我々に押し付けられれば、これを迅速に終わらせるために使えるすべての手段を使う以外に選択肢はありません」。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年9月7日放送 7:30 - 8:55 フジテレビ
日曜報道 THE PRIME(ニュース)
今回の式典にはプーチン大統領や金正恩総書記を含め26カ国の首脳級が参加。アメリカでは、中ロ朝の首脳が集まってパレードを見てる状況の映像が米メディアで相当流れており、これは第二次世界大戦が終わったあとに、毛沢東首席、金日成首席、ソ連の首席団などが集まり同じようにパレードを見たということで、冷戦の象徴的な場面として使われたという。それを思い起こさせるということで[…続きを読む]

2025年9月3日放送 12:00 - 12:17 NHK総合
ニュース(ニュース)
中国で軍事パレードが開催された話題についてのトーク。小宮智可は「プーチン大統領や金正恩総書記を呼べるのは中国だけと誇示出来たのは大きい。強いメッセージを世界に発信した形だ。北朝鮮は中国との経済的な関係を強めたい考えだ。北朝鮮は両国の後ろ盾を得た上でアメリカと対峙していく狙いがあると思われる。ロシアは中国との経済的な結びつきを強め停戦に有利な立場を築きたい狙い[…続きを読む]

2025年9月3日放送 10:05 - 10:55 NHK総合
キャッチ!世界のトップニュース(ニュース)
中国・北京の天安門広場では今日午前10時から式典が開かれていて、6年ぶりに訪中している北朝鮮のキム・ジョンウン総書記も出席している。式典には各国の首脳も集まっていて、北朝鮮のキム総書記が最高指導者になってから複数の首脳があつまる外交の場に参加するのは今回が初めてとなる。北朝鮮はキム・ジョンイル総書記の時代から多国間外交を避けていた。中朝関係を巡ってはコロナ禍[…続きを読む]

2025年9月2日放送 21:00 - 22:00 NHK総合
ニュースウオッチ9(ニュース)
きょうプーチン大統領と習近平国家主席が北京で会談。プーチン大統領は習近平国家主席を「親愛なる友よ」などと呼び、会談後には報道陣の前で散歩する姿も。中国とロシアが主導する上海協力機構の首脳会議などに参加するため、おとといから中国入りしているプーチン大統領。今回目立っているのが中国との蜜月ぶり。首脳会議の前にはプーチン大統領が習主席とモディ首相としばらく立ち話を[…続きを読む]

2025年9月2日放送 19:00 - 19:30 NHK総合
NHKニュース7(ニュース)
キム総書記を乗せた列車が北京到着。列車の前でタバコをふかす姿や、列車の中で笑顔を見せるキム総書記の写真が公開された。キム総書記の中国訪問は2019年以来。軍事パレードをあすに控え、現地では厳重な警戒態勢がしかれている。番組が北京で取材をしていると警察官に呼び止められるほど。日本との戦争に勝利して80年の記念日だとする軍事パレードには20か国以上の首脳が出席す[…続きを読む]

© 2009-2025 WireAction, Inc. All Rights Reserved.