小泉セツは松江藩に仕える武士の生まれで、家格としては上級武士だった。だが、明治時代になると新政府は武士たちのリストラを進め、小泉家は収入源である家禄を打ち切られた。元武士の3割は飢餓に喘いだとされる。セツの父親は詐欺により、財産をほとんど失った。セツは小学校を辞めて機織りに勤しむなか、母の語る怪談話が心の支えだったという。のちの小泉八雲となるラフカディオ・ハーンはアイルランドで暮らし、19歳のときに親戚を頼ってアメリカへ。新聞記者として働くなか、日本神話に魅了されたという。1890年に日本に派遣され、生活や文化に関する記事を執筆。古事記の舞台でもある島根県から英語教師として働かないかと依頼があり、ハーンは松江に赴任した。怪談、民間伝承を集めたいと旅館を通じ、新聞に広告を出していた。翌年、小泉セツが住み込みの女中として働き始める。セツは日本の昔話に詳しく、ハーンに「毎晩、話をしてほしい」と頼んだという。
