ベトナムの首都・ハノイの中心部から車で15分。かつて集団墓地だった場所に当時の悲劇を記そうと、地元の有志が慰霊碑を建てた。旧日本軍はフランス領インドシナに進駐。天然資源に加え、“コメの確保も重視”されていたとみられる。ベトナム北部では1945年ごろ、天候不順でコメの収穫が激減。現地は飢きんに見舞われた。ベトナム政府は“日本が米の拠出を求め続けたこともあって200万人以上が餓死した”としている。チャン・バン・ノイは当時の状況を今も鮮明に記憶している。東京大学名誉教授・古田元夫は、日本であまり知られていない飢きんについて日本人も知ってほしいという。
