ルネサンスの巨匠のミケランジェロのサン・ピエトロのピエタは彫刻とは人間の肉体を写し取りながらその器に精神性を表現する芸術だった。20世紀初頭、パリにやってきた28歳のブランクーシは、一人の天才に出会う。オーギュスト・ロダンは粘土を使って原型を作る主砲で圧倒的な写術表現を生み出していた。肉体と生命への深い洞察が作品の隅々にみなぎっている。ブランクーシはそのロダンの工房で働くチャンスを得るが一ヶ月でやめてしまった。試行錯誤しながら自分の表現を模索し始め、直彫りという直接石を刻んで原型を作る手法を用いて写術表現から離れていった。1910年には航空博覧会を開催。ライト兄弟が世界初の有人飛行に成功したがその博覧会でブランクーシの心をとらえたのは飛行機んプロペラ。飛ぶという機能を追及して生まれた形に虜に。翌年から鳥の作品を作り上げ、初期の作品には胸が膨らみ頭宅地橋などが会ったが徐々にその形は抽象的に。13年後にはついに独自の抽象彫刻にたどり着いた。空間の鳥は飛ぶという運動の本質そのもの形。その形にひかれた岡部さんは手掛けた関西国際空港 第1ターミナルビルに影響がみてとれる。地上からみるとまるで空間の鳥を寝かせたような姿に。