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「パリ(フランス)」 のテレビ露出情報

5月中旬、東京・港区のフォトスタジオ。小田凱人選手は雑誌の表紙を飾るために撮影に臨んだ。持参したマイカミソリで生え際などを整える小田選手。その表情は真剣そのものだった。現在小田選手には14社のスポンサーがついており、パリパラリンピックの顔として注目を集めている。今シーズン快進撃を続ける小田選手、公式戦では9割を超える勝率を誇り、パラリンピックでも金メダル獲得を狙う。小田選手は「何が何でも勝たないと、台無しになる」と語る。小田選手の最大の強みは高速サーブ、その時速は170キロを越え、世界のトップクラスだ。かつてパラリンピックで3つの金メダルを獲得した国枝慎吾氏は小田選手のサーブを絶賛、その存在を「頭ひとつ抜けている存在」と語った。その小田選手のサーブを生み出すのが腹筋、下半身のほとんど使えない車いすテニスにおいては腹筋が非常に重要になる。この数年、小田選手は腹筋を徹底的に鍛え上げた。さらに小田選手の高速サーブは腕の筋肉と腹筋の連動、常人の4倍というその連動を専門家は「生まれ持ったものではなく、練習によって獲得したもの」と証言する。
小田選手は岐阜県を活動の拠点としている。パラリンピックに向け、彼は常識を打ち破る挑戦をする。それはネット際まで出て戦うこと。ツーバウンドまでは認められる車いすテニスはコート後方でのラリーが一般的。当然前に出れば後方にボールを落とされ失点のリスクは増加する。小田選手はそれでも前に出て時間をかけない攻撃的なスタイルで頂点を目指す。これが小田選手の「やりたいテニス」だという。重要になるのは前に出るタイミングとどう仕留めるか。体に染み付くまで練習を重ねる。本番までにどこまで強くなれるのかが、チャレンジなのだと小田選手は語る。6月の全仏オープンに小田選手は出場、パリ五輪で使用される会場で試合を行う。この大会、小田選手は前に出るテニスに果敢に挑んだ。この大会、小田選手は確かな手応えを掴んだ。
幼い頃はサッカー少年だった小田選手。世界のトップスターになることを夢見た。しかし9歳の時、歩けなくなるほどの痛みが彼を襲う。骨肉腫と診断され9ヶ月に及ぶ治療、その間1人で寝るのが怖かったという。この治療において、小田選手は大腿骨の一部を切除し、サッカーを断念せざるをえなかった。そんな時に病室で目にしたのは国枝慎吾選手の姿だった。心を奪われた小田選手、その時の感情はサッカーをするメッシやネイマールを見たときと何ら変わらない感情だったという。退院するとすぐに近くの公園でテニスを練習、それは昼夜問わず行われた。この時彼の将来の夢はサッカー選手から車いすテニスの選手に変わった。スポーツはどんな時でも夢を抱ける、体現できる。そう語る小田選手は積極的に子どもたちと交流を図っている。自身が国枝慎吾さんに励まされたように、今度は自分が子どもたちの「きっかけになりたい」と考え、そのためにはパリパラリンピックの金メダルが絶対に必要だという。
三浦陽登くんはそんな小田選手の姿を見てテニスを始めたという。彼も脊髄に障害を持っている。昨年初めて小田選手に会い、それをきっかけにテニスを始めたという。父の昭成さんは陽登くんが変わっていたのを感じたと語る。陽登くんは小田選手のサイン入りのハチマキを大切に持っている。彼は小田選手に勇気をもらったのだと語ってくれた。さらに小田選手のラケットのガットを張っている平岡孝啓さんは弟を小児がんで亡くしており、それを克服した小田選手を応援したいのだと語る。彼は小田選手に弟さんの姿を重ねエールを送っている。小田選手は本番に向け、大きな不安を抱えていた。ある日、彼は病院を訪ねる。骨肉腫の検診を受ける小田選手、かつて彼は2度の転移を経験し、肺の一部を切除した。さらに股関節に入れた金具が体に合わなくなり、痛みが生じているという。パラリンピックのために手術を先延ばししてきたが、その結果痛みと背中合わせの状態が続いている。さらに世界ランク1位のアルフィー・ヒューエット選手の存在もある。小田選手は現在アルフィー・ヒューエット選手とは7勝8敗、大きな壁として立ちはだかる。アルフィー・ヒューエット選手もまた、金メダル獲得を夢見ている。
7月の始め、小田選手はコートでの撮影を遠慮してほしいと連絡してきたという。この2年間で初めてのこと。小田選手は大きなプレッシャーと戦っていた。小田選手は自身の負けが自分に関わっていた人との関係が崩れると感じてしまい、自分が生きる手段は勝つことのみと考えるようになっていた。そんな中で迎えたウィンブルドン選手権、小田選手はパリパラリンピック前の最後の大会に臨んだ。持ち味であるサーブが冴え渡り、前に出るテニスも功を奏し、順調に勝ち上がった。迎えた準決勝、小田選手は第1セットから前に出る。このセットを奪った小田選手だったが、続く第2セットで異変が起きる。前に出るも得点が奪えずこのセットを落としてしまう。第3セット、小田選手は前に出ず試合を進めた。小田選手はこの試合で敗れ、決勝進出はならなかった。この大会で優勝したのは最大のライバルであるヒューエット選手。敗戦から13日、小田選手は国枝慎吾さんとオンラインで話す機会を得た。小田選手は国枝さんに「流れが良すぎてふわふわしている、その状態でパリに臨んでいいのか」と自身の感情をぶつけた。国枝さんは「勝っている時は反省しなくなる、負けは自分を成長させてくれると考えていた」と自分のことを話してくれた。国枝さんは最後に小田選手に「パリで小田選手のプレーを見て子どもがテニスを始めたいと考える、競技にとって大きなチャンス」と伝えた。7月下旬、小田選手は気持ちを新たに練習に打ち込み、前に出るテニスをものにしようとしていた。未来を切り拓くために。小田選手は「勝つことで世界を変えたい」と力強く語ってくれた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年7月13日放送 7:30 - 8:00 TBS
がっちりマンデー!!工場の巨大メカ
京都市左京区にある川島織物セルコン。カーテンやカーペットなどが主力、創業は江戸末期。古くから万博に携わっていて、大阪・関西万博にも緞帳製作で参加。製造に使われるのは全長24.2mの機織り機。緞帳は日本独特のもので、鑑賞しても楽しめるようなアート作品として作られている。工程は4段階。原画を画像データにし、手作業でトレースして色の境目を区切る。これを実物大サイズ[…続きを読む]

2025年7月12日放送 22:00 - 22:30 テレビ東京
新美の巨人たち新美の巨人たち
野見山は福岡県筑豊で生まれた。7人兄弟の長男として生まれた。父親は地元で名を馳せた炭鉱主で絵さえ描いていれば楽しかった子供時代。その後中学を卒業すると東京美術学校に進学し画家を目指した。しかし第二次世界大戦が発生し、戦況悪化で学生も戦場へ駆り出された。戦地で肋膜炎を患った野見山は日本へ返されて陸軍病院で終戦を迎えた。野見山の初期の代表作は故郷を描いた炭シリー[…続きを読む]

2025年7月12日放送 20:00 - 20:54 テレビ朝日
池上彰のニュースそうだったのか!!そうだったのか!!温暖化
今年6月の平均気温は統計開始以降過去最高。東京でも真夏日13日と統計開始以降最多。雨柱が現れるなどの異常気象も。こうした異常気象は世界各地で続いているということで、今回はその原因を解説。

2025年7月12日放送 11:30 - 13:30 テレビ朝日
ワイド!スクランブル サタデーピックアップNEWS
ヨーロッパを襲った記録的熱波。観光地にも大きな影響が出ている。9日に44℃を記録したギリシャでは、暑さから観光客と作業員の安全を守るために、世界遺産のアクロポリスを午後1時~午後5時まで閉鎖。3日に最高気温40℃を超えたスペインでは、通常夕方から行うことが多い闘牛の開催時間を、午後11時頃に変更。1日に40℃を記録したフランス・パリでは、猛暑のためエッフェル[…続きを読む]

2025年7月12日放送 9:25 - 10:30 日本テレビ
ぶらり途中下車の旅加藤清史郎のぶらり旅
今回は東京都庭園美術館で加藤清史郎さんと待ち合わせ。まずは本館の旧朝香宮邸を訪れた。元々は皇族 朝香宮家の邸宅として92年前に建築された建物で、香淳皇后の伯父にあたる朝香宮様はパリでの生活の経験を活かし、当時パリでも最先端だったアールデコを全面的に取り入れて自宅を作られた。現在開催中の建物公開展では普段はみられない部屋も公開している。建物内では大広間や大食堂[…続きを読む]

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