村上は今日の総括に06年の社長就任時、執行役員全員から辞表を取った。一般社員に戻したのだ。給料は下げなかったらしいが、こんな荒っぽいことをやる経営者は聞いたことがない。07年には社名をヒューリックに変え、さらにその翌年には上場を果たす。06年銀座で、1丁目と数寄屋橋2棟しかなかった、それは十数年で37棟まで増えた。西浦さんはそう言う。昔、銀行の数寄屋橋支店長をしていて銀座には親近感があるらしい。さまざまな人と出会い、本を読むこと、現場を歩くことも欠かせない習慣だそうだ。そう本心を明かすのは、77歳の会長だ。とした。