アメリカのメンフィス。練習後、疲れた体で地元のスーパーへ。河村勇輝選手23歳は代表遠征以外、ほとんど海外経験がないが、通訳もつけず単身で渡米。チームが用意してくれた家に戻ると、料理をする。NBAの試合はほぼ1日おき。過酷なスケジュールで深夜3時に帰宅することもあるという。そんな中でも慣れない料理をする。それでも栄養を考え自炊をする。173センチの小さなNBA選手はバスケの最高峰で1人向き合っている。河村選手は「高さが正義と言われるバスケットボールをこのサイズでやるというのは簡単な
ことではないが、自分が選んで決断してバスケットボールに飛び込んで来たので」と話す。
河村選手は6歳でバスケを始めた。当時から巧みなドリブルと決定力をもち、毎晩NBAをみては夢中になっていったという。福岡第一高校に入学すると高校ナンバーワンプレイヤーと呼ばれ、フィーバーを巻き起こすとBリーグでは史上最年少でMVPを獲得。名実ともに日本バスケ界のヒーローになった。去年のワールドカップでは鮮烈な世界デビューを果たした。48年ぶりの五輪出場に貢献した。パリ五輪ではフランス相手に最多となる29得点をマーク。得点・アシストのランキングでは、NBAトッププレイヤーに次いで3位に。
五輪直後、河村選手が口にしたのがNBAへの挑戦。多くのファンに愛され、惜しまれ、世界最高峰のNBAへの挑戦が始まった。10月1日、NBAのトレーニングキャンプがスタート。河村選手にオファーしたのはメンフィス・グリズリーズ。この時はまだキャンプだけに参加が許された練習生という立場。ここで認められると2WAY契約となる。そこから本契約を目指すことになる。実際、これまでNBAにたどり着いた日本人はまだ3人のみ。河村選手は「毎日がトライアウトでいつカットされるかわからないという状況でリラックスはできないし、自分がプレーできることを証明しないといけない」などと話す。先輩選手にも指示を出し、積極的にコーチとも会話をする。わずか数日で河村選手が中心となっていた。チームのエースであるジャ・モラント選手にも物怖じせずにアドバイスを求める。あっという間にチームメイトの心を掴んだ。その裏にはたくさんの準備と努力があった。
ことではないが、自分が選んで決断してバスケットボールに飛び込んで来たので」と話す。
河村選手は6歳でバスケを始めた。当時から巧みなドリブルと決定力をもち、毎晩NBAをみては夢中になっていったという。福岡第一高校に入学すると高校ナンバーワンプレイヤーと呼ばれ、フィーバーを巻き起こすとBリーグでは史上最年少でMVPを獲得。名実ともに日本バスケ界のヒーローになった。去年のワールドカップでは鮮烈な世界デビューを果たした。48年ぶりの五輪出場に貢献した。パリ五輪ではフランス相手に最多となる29得点をマーク。得点・アシストのランキングでは、NBAトッププレイヤーに次いで3位に。
五輪直後、河村選手が口にしたのがNBAへの挑戦。多くのファンに愛され、惜しまれ、世界最高峰のNBAへの挑戦が始まった。10月1日、NBAのトレーニングキャンプがスタート。河村選手にオファーしたのはメンフィス・グリズリーズ。この時はまだキャンプだけに参加が許された練習生という立場。ここで認められると2WAY契約となる。そこから本契約を目指すことになる。実際、これまでNBAにたどり着いた日本人はまだ3人のみ。河村選手は「毎日がトライアウトでいつカットされるかわからないという状況でリラックスはできないし、自分がプレーできることを証明しないといけない」などと話す。先輩選手にも指示を出し、積極的にコーチとも会話をする。わずか数日で河村選手が中心となっていた。チームのエースであるジャ・モラント選手にも物怖じせずにアドバイスを求める。あっという間にチームメイトの心を掴んだ。その裏にはたくさんの準備と努力があった。