オリンピックは人々の愛国心を高揚させる舞台として発展してきた。ヘルシンキ大会にはソ連が初めて参加し、東西冷戦が激しさを増す中メダル争いが加熱した。第5代IOC会長のアベリー・ブランデージは「オリンピックの勝利は国家や政治体制の優劣を示すためのものではない」として国歌斉唱・国旗掲揚の廃止を提案したものの、東西両陣営からの強い反対を受け実現することはなかった。ローザンヌ大学クラストル教授は、IOCの中ですら政治的な力が働いていたと話した。その後過度なナショナリズムを警戒する動きは弱まっていった。ロサンゼルス大会でオリンピックは商業化にかじを切り、IOCは多額の放映権料とスポンサー収入を得る仕組みを確立した。ブザンソン大学ジロン教授は、この頃からIOCはナショナリズムにつながりかねない動きを黙認するようになったと指摘した。