中国の古代王朝にとって騎馬民族は大きな脅威で、封じ込めるべく巨壁を築いた。秦の始皇帝もその1人だったとされる。13世紀、チンギス・ハンの侵入を恐れ、当時の王朝は長城の増築などを進めたなか、チンギス・ハンは機動力のある騎馬隊を2手に分けた。一方は紫荊関と呼ばれる関所を突破し、別働隊とともに難攻不落とされた居庸関を挟撃した。チンギス・ハンは中国制覇の道半ばで没し、それから26年が経過。チンギス・ハンの孫で、第5代皇帝のクビライ・ハンは豊かな資源を元手に繁栄を築いていた雲南省の大理国に狙いを定め、雲南の山中に暮らすナシ族に協力を要請。居住地域を軍の拠点とし、大理国の王を降伏させることに成功した。
クビライに協力したナシ族にとって玉龍山は聖なる山で、山ふところに麗江という町を築いた。城壁のない町で、世界遺産にも登録されている。ナシ族は他の土地では失われたという音楽を今も受け継ぎ、奏でている。
クビライに協力したナシ族にとって玉龍山は聖なる山で、山ふところに麗江という町を築いた。城壁のない町で、世界遺産にも登録されている。ナシ族は他の土地では失われたという音楽を今も受け継ぎ、奏でている。