1974年の夏、東京・丸の内のオフィス街で時限爆弾が炸裂し8人が死亡、380人が重軽傷を負った戦後最悪の爆弾テロ「三菱重工爆破事件」。その後立て続けに起きた連続企業爆破事件で指名手配されていた桐島聡容疑者について、去年1月驚きのニュースが駆けめぐった。約半世紀にわたり「内田洋」という偽名で逃亡生活を送っていたが、瀕死の状態となり病院で指名手配犯である本名を告げ、4日後に死亡した。桐島容疑者はなぜ最期に本名を明かしたのか、JNNは1年にわたり関係者を取材。すると同じ人物とは思えない、いくつもの顔が見えてきた。桐島容疑者が死の直前まで暮らしていた、神奈川県藤沢市。今年2月、自宅だった部屋を特別に許可を得て撮影することができた。趣味のギターや自筆の歌詞カード、漫画、映画のDVDなどが積み重ねられ、偽名「内田洋」としての生活の痕跡が残されていた。その一方爆破事件が発生した1974年を振り返る雑誌などもあり、指名手配犯「桐島聡」の姿も垣間見えた。
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