1941年12月7日の九州日日新聞には、緊迫する日米交渉の記事が掲載されていた。翌日の新聞には天気予報欄が消え、米・英と戦闘を開始する記事が掲載された。1941年12月7日に気象報道管制が行われ、敵国に気象情報を知られないために天気予報は軍事機密とされた。戦時中に熊本測候所で勤務していた山田さんは、空襲の最中も気温や湿度を観測し続けた。熊本地方気象台の佐藤調査官が、終戦となった1945年8月15日の気象情報を語った。気象報道管制は、終戦から6日後に解除された。
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