仙台市中心部の地下から見つかった巨大防空壕。戦後80年に合わせ内部の映像が初公開された。地元の研究会が調査したところ、総延長は200m以上に上り、国内最大規模とみられている。仙台・空襲研究会・新妻博子さんが「私たちの街の地下にこういう防空壕があるということを感じてもらいたい」などと語った。1945年7月10日のアメリカ軍による仙台空襲では1399人が犠牲になったが、地下防空壕で命を落とす人はいなかった。仙台市に住む庄司誠さんも助かった一人、当時12歳だった。仙台空襲では20万発以上の焼夷弾が投下され、街は焦土と化した。仙台市内には防空壕が約5万カ所整備されていたが、多くは簡易的な作り。地下の頑丈な防空壕に逃げ込むことができるのは一部の市民だけだった 。