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「能登半島地震」 のテレビ露出情報

山田賢司議員の質疑。冒頭、能登半島地震被災者へお見舞いの言葉を述べた後、拉致問題について岸田総理に質問。総理が施政方針演説で述べたキム・ジョンウン委員長との協議について、今までの協議とはどう違うのかなどと質問。岸田総理は、昨今の日朝関係の現状を変える為、自ら主体的に動いてトップ同士の関係を構築していくことが重要だと述べ、施政方針演説では、自ら必要な判断を行っていく決意を述べたと話した。
自由民主党・無所属の会 山田賢司氏の質疑。イスラエル・パレスチナ問題について「武装勢力がイベント会場を襲撃して、民間人を殺害連れ去り、人質としていることはテロ行為として許されないことだと考えている。他方で人質救出、武装勢力掃討の目的はあったとしても、テロ相当の名の下に多くの民間人の命を奪っていることに対して懸念ではなく非難をしないのはなぜなのか」など質問。上川外相は「我が国としては非難をしている。イスラエルがこうしたテロ攻撃を受けて国際法に基づいて自国及び自国民を守る権利を有すると認識している。いかなる場合においても国際人道法の基本的規範は守らなければならない。国際人道法に従った対応等を直接要請してきた。この軍事行動について当事者による説明が必要」など答弁。また、山田氏はUNRWAの活動について「どのように評価されているか」など質問。上川外相は「令和6年度補正予算ではUNRWAへの予算を停止。今後もUNRWA、国連などと密接に連携をとり、UNRWAのガバナンス強化も含めて適切な対応がトラれることを強く求める」などコメント。
山田賢司氏は中国からのサイバー攻撃で日本の口伝情報が漏洩していると米国から警告があったとの報道があった。政府のサイバーセキュリティ対策について聞きたいとした。最先端の技術などに容易に侵入されるのは芳しくない。個人らが守っていてもシステムの脆弱性があるのであれば意味がない。これに河野大臣はG-SOCによる24時間監視を行っているが、未知の脆弱性をつくもには対処を使用がないものもある。欧米主要国と同等の水準を誇れるようなものを努力していくなどと述べた。ウクライナ支援については、復旧復興に向けて官民一体での支援が行われているが、これのどのような成果を考えているのか。退避勧告が出る中でのウクライナで何ができるのか伺うと、日本企業とともに現地訪れ、意見交換を行い、会議を契機にし、関係国や関連企業との調整も進めていくなどと上川外相は語った。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年6月20日放送 15:10 - 15:55 NHK総合
午後LIVE ニュースーンミニ番つまみぐい
ミニ番つまみぐい。今日は「明日をまもるナビ」から。災害時に孤立した時の対策を取り上げる。1月に起きた能登半島地震の際に、孤立集落への災害救助時にいくつもの困難が重なり、命の危険にさらされた。集落の住民は薬がなくなったことで危機を感じたという。その場では人と人が助け合って作られたコミュニティー。そのヒントを探る。

2024年6月20日放送 13:00 - 13:05 NHK総合
ニュース(ニュース)
能登半島地震で大規模な火災が起きた石川県輪島市の朝市通りで建物の解体などの費用を行政が負担して行う公費解体が始まって2週間がたつ中、解体の申請が増えているということで、市は作業を急ぎ早期の復旧復興を目指したいとしている。朝市通り。厳しい暑さとなる中、作業員の方々は適宜休憩を取りながら解体作業を進めている。輪島市の朝市通り周辺では大規模な火災などで被災したおよ[…続きを読む]

2024年6月20日放送 12:20 - 12:30 NHK総合
全国自治宝くじドリームジャンボ宝くじ抽せん会全国自治宝くじ 年末ジャンボ宝くじ 抽せん会
1等の番号を抽せん、番号は58組の154049に決まった。2等以下やミニの番号も発表した。収益金の一部は能登半島地震の被災地支援に役立たれる。

2024年6月20日放送 5:00 - 6:00 NHK総合
NHKニュース おはよう日本(特集)
能登半島地震の被災地では8万棟余りの住宅が被害を受け今も多くの人たちが避難を余儀なくされている。石川県珠洲市の若山町北山地区で今月2日住民たちが久々に再開した。蛍の生育地区として知られる北山地区は9世帯20人が暮らしていた。去年開かれた奥能登国際芸術祭では巨大なアート作品が展示。この展示をきっかけに地区の魅力が注目されると期待を高めていた。しかし元日の地震で[…続きを読む]

2024年6月19日放送 23:00 - 23:59 日本テレビ
news zerozero plus
板垣李光人は能登半島地震の爪痕が残る羽咋市の山崎麻織物工房を訪問した。県の指定無形文化財である能登上布を製造する日本唯一の織元で、創業したのは1891年。地震で機械が倒れるなど、工房は一時停止に追い込まれた。そんな中、久世英津子さんのもとには励ましのメッセージが届けられ、地震から10日後には整経機を最低限、動かせる状態にした。織子たちは続々と工房に戻ってきて[…続きを読む]

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