板垣李光人は能登半島地震の爪痕が残る羽咋市の山崎麻織物工房を訪問した。県の指定無形文化財である能登上布を製造する日本唯一の織元で、創業したのは1891年。地震で機械が倒れるなど、工房は一時停止に追い込まれた。そんな中、久世英津子さんのもとには励ましのメッセージが届けられ、地震から10日後には整経機を最低限、動かせる状態にした。織子たちは続々と工房に戻ってきて、久世さんは「能登上布をもっと大事にしてお客さんに伝えたいと思った」、「後ろを向いたらあかん、前に進んでいきたい」などと話す。ベテラン職人の長尾和美さんは両親を介護しながら働いていたが、地震に直面した。余震が起きると当時を思い出すというが、復旧していく工房の姿を目にし、仕事に打ち込む職人仲間を見習いたいという。機を織っているとワクワク、ドキドキし、自宅で出来上がったものを工房に搬入する形で再開している。長尾さんは「勇気を持って1日1日を大事にしていきたい」などと語った。